2017年6月20日 (火)

必殺の0.6秒と回避

簡単な計算をしようか。

物が落ちる速さは引力で加速されていく。

おおよそ人間の身長くらい。ある高さから落ち始めて
1.8m過ぎるまでの時間は空気抵抗を無視して約0.6秒ね。 
つまり 2×1.8m/(重力加速度9.807m/秒・秒)の平方根よ。
時速が100km/hなら0.6秒に16.7mほど進む。

だからさ。
先日報道された東名高速で分離帯の向こうから飛んできた車が
バスに衝突した話。映像を見た人も多いと思うよ。

乗用車はバスの屋根に刺さる形で乗っかっていた。
そもそも分離帯を突き破って反対車線に飛び出す事故は
稀に有るけれど、この事故は本当に「飛び」出してきた。

事故の発生自体は良い話じゃない。
けどね、衝突地点の通過があと0.6秒遅かったら。
車はバスのフロントガラスと車内直撃で現実の結果と違う悲惨な
状況になっていたはず。

運転手は60を幾つか過ぎた年齢らしい。
何十年と過ぎてきた人生というものが僅か1秒にもならぬ時間の
分岐点の通り方で不意の終焉となった可能性が有ったわけで。
運という名の偶然に助けられた、というものだと思う。

JAL123便もそうだ。離陸前の滑走路上ならまだしも。
普通なら飛行中の旅客機が山に墜落すれば生存者の期待は出来ない。
哀しい事に極く僅かな人を除いてそういう結果になってしまった。

いまでも生存者はどうして生存者になれたのかを知りたい。
だがそれは土台、無理と言うもので。人は偶然の仕組みを説明できない。
(余談になるが読ませていただいてるブログの123便事故に関する
書籍紹介で知った話。1予約しながら乗りそびれた人。
「幸運」に喜んだがその夜に風呂場で滑って頭を強打して亡くなったと。
これもまた「運」について考えてしまう)

人智を超えた何かに助けられる、救われるという話は在る。

人間が予測や計算できない偶然の事柄や展開を「運」と表現して
いるのだろうが、時としてそれは「神」とも呼ばれるのだろう。

自分は宗教観からの神は考えない。
現世で人の姿をした貧乏神や疫病神の存在は疑わないけど。

だが信仰心としての祈りは意味があると思う。
向かう道筋を求めて探すために自身の潜在意識に刷り込む儀式とでも
言い換える事ができるだろうか。

心の中にともした灯台に向かって櫓をこぐ様な努力は暮らしにあっても良い。
けど何かの偶然が絡めば全く違った方向に進む事だってあるはず。

バス事故は報道価値として多くの人に伝えられたが一瞬の時間差
(或いは距離)が全く違う結果を見せるってのが他にも現実の知らない所で
多く有るんだろうなあ。

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