そう以前でもない休日は夕刻から午睡するのが習慣になっていたのが
この夏に気がついたひとつに日中も起きていること。心身の状態は
悪くないという事だろうか。その分、夜更かし&寝坊になってしまった。
朝に携帯が振動している様子に目が開いてしばらくしてから何事かと
寝床から見れば着信と留守電記録。
いつもは鳴らない電話の何が嫌かというと最初に親族の訃報でも
来たんかいなと自然に思ってしまう。
これは自分の親も含めて候補者数が十分なだけに仕方ない。
その正体は前回、三年程前に会った福岡時代からの変人旧友で
東名高速を走行中だという話から地元P.A.で合流して再会。
軽い朝飯とコーヒーで二時間以上の雑談となってしまった。
彼の縁故地だそうな松阪に向かう姿を見送った後で少しばかり昔へ
意識を向けたら出てくる、出てくる。
結局、生涯に残る自分の趣味嗜好の随分多くが彼から教えて
もらったようなもんだ。
ただ若い頃に奴の場合、いわゆる彼女というのが多かった様子だったが
これだけは自分に全く縁が無かったな。別にモテなかったと
言うんじゃなくて野郎共と遊ぶが面白くて忙しかっただけだと思う。
女子高の生徒から封書貰ったり後輩の女の子が突然家に来たりとか
あったけど「ふ~ん、、、」だったっけ。今思い出すと実に惜しい。
そんな彼も奥方様を四年前に手遅れの病で亡くし子供さん二人を
育てて偉いものだなあ、と感心する。
一体なんで「他人は他人」の自分に中学二年の時、名古屋から
転校して来たというこいつが色々と影響を与えてくれたんだろうか。
現在の自分が趣味道楽の筆頭とするのは現実逃避の旅姿、であるけど
本当の所は乗らなくなった現在でも「自転車」だと思っている。これも彼から。
翌春休みに二人でツール・ド・九州をやろうと長崎以外の各県を
走破企画をした。初日に日田、最終日は水前寺のユースホステル以外は
成り行きとして阿蘇の農家?に偶然の縁から一泊を世話になり、宮崎の
青島海岸でスパーカブで旅行中という二人組みの兄さん達と野宿。
霧島のドライブインでは物置小屋の宿と飯を世話になった対価に皿洗いの
手伝いして¥500を旅の軍資金にもらい、人吉で目にした竹林の中に
たたずむ古風な旅館に押しかけて中坊の無知と厚かましさから庭に寝かせてくれ
とデタラメ言ったら女将さんが「あんたたち、家出してきたの?」
っていうもんだから話を通したところ破格の値段で素泊まりさせてくれたりで。
(実際、旅の後半で小銭しかなかったような)
思うがままに書いて「ん?」と思い出したらやっぱり放浪過去帳の
壱岐編に奴の事を遺してある。迷想の方にも三年前の事が少し。
ネタにしなかった能古島砂浜野宿&夜間海水浴なんてのもあったっけ。
つまり俺は俺で俺だから俺なのだ、と自分の事だと思ってみたところで
結局は知らない内に誰かから受けるものが相当にあるんだろうな。
常々思う一つの人間全て運と縁、ってのは多分、どっかそういう部分が
かなり絡んでいる気がする。
今の自身に問題が在るなら普段の生活でそれほどの感銘を受ける機会が
無いのは周囲との人間関係の問題なのか自分の感性が鈍っているのか。
<本日の一枚>
付いてた苔も枯れた石。
阿蘇の噴火から生まれたのだろう他人には無価値な軽石。
旅先で良い知己を得られるならそれは面白い、と思う原点。
今回に写したという事は中学時代から東京の大学時代も、転居を重ねて
四ケ所目の当地でもずっと自分の傍らに有った事になる。
以前の迷想に記した気もするがいつの事だか忘れたし書いてないかもしれない。
寝場所をどこにするかと話ながら自転車の灯火しか明るさが無い阿蘇高森から
外輪山を越えた日没後の山中で人影を見て話し掛けたのがキッカケだった。
5分ばかり前後にずれていたらこんな展開にはならなかったはず。
反面、何にしろ偶然というのが良い方ばかりに作用しない場合は怖いものだ。
宿、飯、風呂の三点セットを世話になり翌朝の出発時に物珍しさから庭に
転がっていたのを譲り受ける。
勤続15年目のリフレッシュ休暇で旅の目的はこの家に改めて礼に伺う事だった。
記憶の頼りは家の前に木郷という名のバス停があったことだけ。
何となく面影残る場所で車を停めて傍らのオバサンに当時の風情を尋ねたら
当時は農家の嫁風だったその人で忘れる事無く当時を思い出していただけた。
用意した土産の品を渡せば夜道でボロ乞食のような二人連れ道中の小僧に遭遇
した時の感想や親から後日礼状と一品が来たという話を伺う。自分は忘れていたし
そんな事は知らなかった。そういう事だったのか翌年の正月に阿蘇の風景が白黒で
印刷された年賀状を頂いてありがたい言葉が書いてあったのは記憶していた。
「よくぞまあ こんな峠の一軒家に訪問いただいて」と連絡の術も無かったから
突然の再訪でありながら昼飯を恐縮しつつありがたく頂く事になる。
時が経ってもホントに集落と言うにはあまりにも寂しく開発とは無縁という場所だった。
ただ日本の豊かさとは全部が全部、広い道路やダム、空港を作り新幹線を
走らせる事では無いと思う。箱モノ、土木モノ、銭ばかりの豊かさばかり
広げようとすると「素朴」とか「ふれあい」なんてありきたりの陳腐な表現じゃ
形容できない全く別の価値観が二者択一のように絶対、失われる気がするなあ。
どっちでもいい、じゃなくて都会の雑踏とは異質の場所では十分に意味のある
何かがね。もしも自民党が失政だとするなら、日本どこでも同じ様にTVに
映る世界のように均一化しようとした所も少しはあるんじゃないだろか。
地方の一部もそんなのを望む部分があったとして。
場所、地域の違いを示す尺度を使う結果に時として用いられる「格差」という
表現自体が正解だったのかなあ。
再会した変人旧友が「なあ、また二人で旅にでもでるか」などと口にする。
御遍路さんをやってみたい、と言うが亡くなられた奥方様の事がどこかに
あるのだろうか、そう思うと脈絡も無く「俺たちゃあ、どう生きたって
結局、こんなもんだよなあ」という気がしてくる。 こんなもん、というのが
具体的にどんなものだか分からなくても、やはり「こんなもん」なのだ。
強烈な誘惑だけど今の日本で何が困るかって こんなオヤジコンビが下手に
郷愁で野宿でもしようものなら純粋宿無しと勘違いされて襲われる可能性が
否定できない事で。随分と悪童ではあったけれど他人に危害を加える
刑法犯になるような暴力沙汰は嫌だったな。
奇縁の知己となった一人、西の姫様から先日に誕生日大全なる書の話を
伺い本屋で立ち読みすれば自分のKEY WORDの一つは「旅」だと。
それから「先送り主義」だとか。苦笑するとはこういうもんだ。
どうであれ自分の行く末なんか自分にだって分かるもんじゃない。
あの峠の一軒家はどうなったのだろう。
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