公然の誇大広告
最初に書いておくけど自分は扇動的な詐欺まがいの
宣伝には嫌悪感があるので擁護するつもりは一切無い。
で、今回は(人によっては今回も、と言うかもしれんが)
思う事を自分の場所でただ書くだけ。
何の事かというと「ジャンボ宝くじ」
但しコンナ自分でもナンバーズは純にギャンブルとして
時折、購入する。
だから売り場に行くと年末のその季節になった一頃は
やたらとジャンボ宝くじの宣伝録音テープが流れるのを
否応ナシに耳にする事になる。
いわく、「億万長者が○○人も」等と煽り立てる。
バカ言え!だな。確率が良いのではなく単に発売ユニットが
それだけ多いという事にしか過ぎない。むしろ1等確率を
調べてみると1ユニットあたり1本、実に1000万分の1。
これがどれほど絶望的な確率であるか、具体的に把握する
感覚が麻痺しても仕方ないほどだ。
よく有る例えで強引に単純な確率計算に置き換えれば
国内の年間交通事故死者となる確率より1000倍難しい。
あるいは東京-静岡、福岡-長崎間に一円玉を敷き詰めて
並べその中から当りの1枚を選ぶ方がまだ簡単。
そして「時効」が近くなると未交換額がどのくらいになると言う
NEWSを見聞きする。これらは全部、販売側の懐に入るのである。
と、こう書けば同じ事を想像した人がいるかもしれないが。。。
大体この手のクジを買う人間はその購入した事そのものをオオッピラに
話さないと思う。話しても保管場所までは語らないのでは?
とすれば例えば奇跡的に、実に有り得ない確率ではあるけれど
当選したものの購入者の寿命が先に果ててしまったという事例の方が
交通事故死の例にしたとおり未交換の原因として相当数あるかもしれない。
夢を買う、と言うなら聞こえは良い。
購入者自身に対しては何も非難する事は無い。
が、しかしだ。アントニオ猪木先生は「てめエの 力で勝ち取ってみろ」
とは言うものの長期的に見ればジャンボ宝くじの売上は増加傾向にある。
「現実の世界」に勤勉実直でどれほどの夢が手に出来るかと言うと
銭の問題だけではないが実に怪しい世の中になっているのだ
と本日の庵主は迷想する。
2050年には日本の総人口は9000万人を切り、いわゆる高齢者は
相当な割合になると言う。この現実をどうする。
宝くじには「ドリーム」と冠されたものも有るようだがコンナ空虚な
ものに「夢」を託してどうすると言うのだろうか?
一体、為政者は何を考えているのだろう。
宝くじの「害」の一つには課税の逆累進性に有ると思う。
つまり購入者の所得層比率を調査すれば相対的に(絶対的に、ではない)
低所得の者が相当数を占めると思う。
当選金に所得税がかからないのは初めから大部分のハズレくじにも
胴元の取り分が含まれているからであり当選本数あるいは当選払戻金の
配分が最初から決まっている以上、大多数の購入者は受益者とならぬと言う点で
無駄な税を払っている。
これだけなら購入の意思は当人に委ねられているのだから買うも買わぬも
本人次第であるけれどその捨て金は大手の週刊誌や鉄道の吊り広告にも
掲載されるような催眠商法的な広告宣伝にも使われているのが事実なのである。
だから為政者は何を考えているのか、となれば少なくとも「多空くじ」に関しては
多くの海外諸国のように国家的紛争でもあればともかく(しかしそれは更に
悲惨であるから望むわけが無い)政策の貧困から国民の目を享楽へと
そらすための道具程度にしか考えていないとも思える。
公営ギャンブルは衰退傾向にあると聞く。競輪、ボート、オートレース。
博打でありながらそれぞれの選手と呼ばれる連中が自分の腕前を研鑚する。
(人間の絡みであるから八百長とはいわないがそれなりの合議があるにしろ)
足を洗ったとは言えこっちの方が勝負事としては個人的に面白いと思うが
有り得ない可能性から由来する配当金の爆発力故につまらぬ勝負でも宝くじに
勝てないのだろうな。
勿論、三億からの泡銭を手にすれば自分だって絶対に狂気乱舞して正に
発狂するはずだ=以降の人生、自分が自分の手腕で生きてる意味を
見出せなくなる、という点を相当に含めて。
大体がギャンブルと言うのはそれで飯を一生食っていこうと言う本格の
例外になる人を除いて自分を含め普通の人にはモ一つ言葉の意味を落として
せいぜいが日々の煩わしさと平凡な日常を忘れてつかの間の充足感を得る
遊び程度が丁度良い、のだろうな。
と、今回は何も落とし所が無いけれど何にしろこの宣伝手法は惨いと思う。
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