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2007年10月29日 (月)

自己的週末迷想

昨年の今頃ネタにした祖父の話。
金曜夜、唐突に老母から祖父の誕生祝をやるので来るか?
との電話を受ける。この機会を逃したら来年が有るかなんぞは
分からないから日曜昼過ぎから祝いの手土産に地酒を買って上京する。

孫の考える事は同じ血筋のせいか同様に酒持って来る奴が大勢で
メデタイ分だけ飲めとばかりに久しぶりに度を越してしまった。
それでも孫連中、自分から見ればイトコの中で誰が酒に強いかと
いう話になると自分の名は出てこないで自分の末妹か従妹の
一人だろうとなる。ただ主役の爺さんがもう少し若ければこの点でも
一族の頭だったに違いない。一体、遺伝とは何を受け継ぐのだろうか。

N1

料理についても母方の血筋は食材を扱うのが生業の商人なだけに実にウマイ。
叔父が仕入れた伊勢海老や鯛を台所で造り上げて食って飲んでで。
包丁の使い方も自分のような素人が道楽で何かするのとは大違い。
飲んで騒いで表でキャッチボールでもやろうとなる。
従弟の兄方が投げるのを見て「っほほう」と思えば次にその弟が投げて
みせるというので面白半分で見物すると球筋が分からない位に速いの
なんのって。昔に日米親善少年野球で東京都代表先発投手としてNYに
遠征したのは聞いていたが現在では野球にそれほどの興味が無いとか。
帰りの手土産には自家製の赤飯をもらう。祝い事には仕出屋から必ず
出てくるようなものだがそれは日本全国どこで食っても大差無い。
父方の伯母は今も都内で料亭の女将をしていて自分も小学生以前から
帳場で芸者さんが身繕いするのを横目で見ながら飯を食うというのを
やってきたから食い物にはそれなりの一家言を持つのだけれど赤飯については
祖父宅のは完全に市販品と別物で亡祖母の時から絶品の味が変わらない。
刻み込まれた味覚と言うモノが他に思い浮かばないし昔から伯母をして
「(母方の実家)に行くのかい?じゃあ御赤飯をもらってきておくれ」
と言わせるほどの代物だ。売り物としても十分、通用するだろうが
こういうのはそうすればもしかして違う味になってしまうのだろう。
内輪で楽しむ味とするのが秘伝というものか。
しかしどうやって作るのか興味があるのに一種の畏怖感のようなものか
自分は食うばかりでとても知ろうとする気にならないのが面白い。
この赤飯は結局、帰路の新幹線車中で一口が止まらず全部食ってしまった。

N3_2

食い物の扱いも技のようなものだろうがそれに限らず随分と長いこと
腕前と言うのを身につけた人間が損得無に自身の気で何かするなら
そいつの結果は到底、素人が簡単に真似できるものではないという
ことがあるかも知れんな。
ならば自分は日々の中でどんな味を出せると言うのか。
一端の技術屋のつもりでもココしばらくはスランプと言うより
沈滞した雰囲気に身を置くのがアタリマエになってしまった。

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