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2007年11月 4日 (日)

不連続な連想的迷想

傍若無人というのは現在の庵主を表す言葉として適切な語句の一つであります。

このような自分でありますが若い頃はボーイスカウトや青少年赤十字サークル等で
とりあえずは奉仕、というよりも それはまァ、そういう活動から他者との
調和生活の為に己の振る舞いを考えるという事を経験してきた訳です。

さて芸能人のみならず芸事全般に全く疎い自分でありますが古くから芸の一つに
落語と言うものがございましょう。
言葉とその表現力のみで客から銭を取るわけですからコレもまた芸の技として
軽んじる事は出来ぬ世界だと思うのであります。

しばらく前に毎度のYAHOO!ネタで目にした時、気になった記事の内容は。。。

「落語家の三笑亭夢之助さんが、安来市民会館で9月17日にあった市主催の敬老会で、
独演会中に舞台上の手話通訳者に「気が散る」などと発言をしていたことが31日、
分かった。県ろうあ連盟は「聞こえない人への侮辱で、あるまじき言動」と、市と
夢之助さんに9月21日に抗議。夢之助さんは連盟に文書で謝罪した。」

というものです。「侮辱」なる言葉を使うのはどうなのでしょう?

重ねて書くと何気ない関心程度で庵主は落語の世界は知りません。が、しかしそれは
一種の技の世界で単に噺の文言を知るだけなら書物でも良いかと思うのです。
あるいは音曲でCDにて楽しむと言う事が当然可能ですけれどコンサートの場所では
同じ曲でありながらそれとは全く違う現場の感覚と言うものが有ると思うのです。

落語に限らず能、狂言等も現代以前から同門世襲によって継がれてきた芸能で
ある事には異論の余地は無いと考えます。

反面、心身の障害者に対する一種の配慮というか(どうにもここでの適切な表現が
見当たりませんけれども)待遇のようなものはこの一世代の間に大きく変化したと
感じているのです。
少しココで横道にそれますと自分の幼少時にはアタリマエに使われていた
「めっかち」「びっこ」「ちんば」「かたわ」「いざり」等、身体の個体状態差を
示した言葉というのが今日では差別語として「殺された死語」になっております。
と、場所によってはこの様に書けば批判のそしりも免れないでしょうが
「差別の無い現代」以前を体験してきた人間も今はまだ多く存在しているわけで
障害を持つ者とそうでない者、相互の社会全般の調和というのは自分等のような
世代が消えるまであと数十年は待たねばならぬかとも思うわけです。
それについては社会全体の意識が一種のモラルとして望ましい方向に根付くかという
問題も関わってくるでしょうがそこまでは全くどうなるものか予測できません。

さて前説が長くなってしまいましたがつまりは落語も基本的なところは古典芸能
であるとの前提に立てば当然、今回のように感覚障害者を客にして芸を披露する
というのは修行の中に含まれていないと考えられます。
手話通訳者が臨席するというのを噺家が事前に承知していたかどうかが論題の
分岐点になりますが記事からはそれを読み取れません。
噺家の芸とは当人の言葉を伴う表現自体が重要な要素ではなかろうかと思うだけに
今回の件で引用した記事にある県ろうあ協会の「聞こえない人への侮辱」という
抗議は いわゆる身障者と健常者の調和とは異なる「平等の持って行き所」を
相当に間違えていると思うのです。
むしろそのような抗議自体が「噺家への侮辱」であるように感じられるのですが。

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と、まァ、初めから有り得ない話としてコレが万が一にも立川談志だったら
全く違う展開になったはずでその「もしも」の結果が非常に興味深いだけに
どこかで本人のコメントが掲載されていないだろうか。。。

それはそれとして 本日の晩飯ネタを購入で近所の買い物店に。
最近は店の出入り口近くに身障者用の駐車スペースが設けられているのが
多くなった。以前にも書いたことだけど何ら不自由無い運転者が
そういう場所に駐車するのも結構な頻度で目にする。
多分、その運転当人にしてみれば「だって空いてるんだもん」とか
「他の場所を探すの面倒だもん」感覚なのかどうかは知らない。
見かけはともかくモラル的というか頭の中がやはり一種の障害者なんだろうなあ。

運転者の識別として初心者、あるいは高齢者マーク(枯れ落ち葉みたいなのね)
ってのがあるけど少々、道交法上の性質は違う身障者用の識別表示もあるみたい。

結構、真剣に思うんだけどこういうのは身障者手帳とか保有して当人が
希望すれば運転者の公式表示として交付してイイんじゃないかな。
それでね、一定面積とかの基準を作って大規模店舗には身障者用駐車スペースを
義務付けるの。(もしかしてこれは既に法制化されてるかもしれないけど)

それでだ。道交法やその他の法令を改正してそういう身障者スペースに
平気で駐車する奴は「特例駐車違反」で反則金を路上駐違反の10倍位取るの。
少し前に駐車違反検挙は民間に委託されたって言うし千代田区あたりだと
路上喫煙でも条例で銭を取られるっていうからこういうのもバシバシやって
欲しいなあ。そんでもって「収益」は訳の分からん天下り団体じゃなくて
バリアフリー用の予算として独立してプールしてもらってね。
理不尽な速度取り締まりよりコッチを重点的にした方がいいと思うなあ。

さてさて二週間後には退院後検診で福岡だ。
そんでもってバリアフリーというのに関しては九州帝国の首都である福岡は
おそらく街の規模からみて博多駅も天神駅も日本最悪かもしれない。
どうにかならんかなあ、と行く度に思う。

今年度の有給休暇はこれで打ち止め+欠勤1日。それもまた仕方なしだ。
今月後半には暦上の連休があるので自分の放浪もそれでオシマイ。
今日の週末にコレといった行事も無く4月までが遠い。。。などと思うと
尚更どこかに行きたい妄想が膨らむ。
以前からどうせタダで行けるならと色々行きたい場所で調べて
丁度良い時期にピンポイントで空席を絶妙の日程&接続で発見していた。
結局、期限切れになるMILEもあるので来年度のメインテーマの一つを
三ヶ国遠征として予約をしてしまった。
全便C-CLASSで税金手数料とか総費用は\26700ナリ。同じルートを正規運賃なら
¥70万位になるのだから放浪道楽の余禄としては悪くない。
てか、昨年の欧州や先月の北京のように手数料のみでいけるのだから
実質の交通費累計は半額以下で済んでいるようなものかもしれない。

問題は来年度に自分が健常な状態でいられるか、だ。

<本日の。。。>
季節外れを承知で筍飯を食いたくなる。で、食材を購入。
京都の筍水煮と油揚げ。静岡産の生椎茸。 こいつを適当に切って
湯浅の醤油、碧南の本味醂、日高の昆布汁を適当に釜に入れて炊く。
山椒の葉っぱでも置きたいけど無いから海苔を適当に炙ってちぎる。
自分で作ってこう書いてはイカンが食いたかっただけあって上出来。
ただこういうのは気の合う男友達と二人で(こういう場合は女じゃダメだな)
世間ヨロズの話しなんぞ飲みながら時折に「うめェだろ」「ああ、」
なんて風に食えると極上だけどこれはナカナカ難しい。

Take1

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