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2008年4月20日 (日)

野次馬の週末迷想

これは書きかけの死刑制度について草稿を見直している時に
寄り道迷想のように浮かんだ事なんだけどね。

っつうのも世相に疎いと自認する自分が裁判としての結末
=判決に注目しているのが光市の事件。

自分の結論では、、、まったくこの場へ書くに相応しい
個人的感覚からの期待する結果は 死刑が望ましい、なんだな。

週末にな、いわゆる新入社員の歓迎会って有ったの。
所属部に5人でそのうち高卒が3人。
なんか小僧だよなァ、というのが見た目の印象。
そりゃそうだ。それだけ若いんだもん。
昔は俺だってそういう歳の時があった。
最初からオヤジだったわけじゃない。

で、今になって思うには若い頃には これで上等、オイラの天下
ってな出来事やモノの主張、発言が有っても後々に思い返してみれば
得意になっていた何かのそういう事にどこか未熟とか「下らなさ」
っていうのがくっついてるのよ。
人間、歳取ってくれば思うことや物事の感覚は変わってくる場合も
あるわな。自分に対してだって。

それでさ、いわゆる未成年の犯罪と刑罰。
裁判に使われる用語として責任能力というのがある。
そいつに照らし合わせて相応の罰を与える、という事も考えられる
だろうが その見地からだと究極的にはall or nothing つまり
本当のところは有罪か無罪かという選択肢しかないんじゃないかな。
やった事に対して責任を問えるか否かと言う点でさ。
で、有罪となれば未成年を理由に罰が減免される例がある。
つまり死罪でも相応のところを無期刑とするとか。
あれは更正の可能性って意見が必ずどこかに出て来るような気がするね。
実際難しい問題で犯罪者となった被告が何か「開眼」してその後に
世の中の調和に役立つ場合が有るかもしれないし悪行が習い癖となって
その後も「害」となる事があるかもしれない。(昔の女子高生コンクリ
詰め殺人の犯人みたいに)
被告が更正し得るか?なんてのはインチキバクチの予想をするより
難しいものでその将来の可能性を読み間違える事も多々有るに違いない。

今回の光市の事件。
俺ャあ やはり死刑でいいと思うね。やった事への償いは。
随分の時を過ぎて、成人後の本人がいう「殺意無き殺人」の主張がだ、
やった事の言い訳けとして復活の儀式のために手にかけた死者を
辱めるとか子供に人形遊びの真似事をして屍にする事ならばね。

だが被告本人は生きてる限り償いたい、というそうな。
ふふん、現実には法制上不可能であるけれども その望みを叶えてやりたい。

つまりだ。判決は死刑。但し 償う姿勢を実行する限り執行を猶予すると。
反省文でも被害者の位牌を前にしての読経でも何でも良い。
必ず毎日、どのように償うというのを被告本人の意思で決めてもらって
実行してもらうわけよ。ビタ一日怠ったら即執行。
生きてる限り償いたいというなら被告本人の意思を尊重してこれ以上の
温情判決は無いね。

口先だけかどうかは本人が決める事ができるのだし。

制度としてのものでなく内面的な心情として本当の判決は裁判官でなく
被害者遺族の旦那が決めて然るべきものだろうからこいつに関しては
自分なんかが物思いの他に書けるわけが無い。
なのに、だ。随分と長い間に遺されたその旦那が現実の訴訟に関わると
言うのは並大抵以上の精神力が必要なのだろうが 直接的に無関係な輩から
嫌がらせか批判の類までも来るそうな。自身の問題以外に「他人の馬鹿」
にまで付き合う事になるならば元々の犯罪の深さを知るべし、だな。
この事件に関しては被害者側が非難にさらされる理由は無い筈だが。

許すも人間 許さないも人間。 判決はもうすぐ。

自分の場合なら。もしも生きていたらどうだっただろうなんて
今では殆ど考える事も無くなった。一緒に遊んだ事は幾つか憶えているのに
骸となった後の儀式は必ずあったはずなのに 思い出そうとしても
忘れたのじゃなくて記憶が全く無い。自分が会社務めをするようになって
実家に戻った時に父親から一度だけ一言聞いたのはその時から
家族の写真を撮るのは止めたと。実際、そういうものなんだろう。
何の言い訳しても子殺しとか興味本位で他人の奥さんに手を出したがる奴は
屑だな。嫌だよ。

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