昨日の、ね。
別ネタにしようと思った死刑制度という題目については この事件を
特に意識したものではなくて何とはナシに常々思っていたのを
暇つぶしネタみたいに自分が思い浮かんだ事の記録とでもして
書いておこうかい、程度のものだったわけ。
実際のところは 意識したのかどうかは自分で分からなくても
そういう事について書き残しておこうかと思うキッカケになった
事件だったかもしれん。
「論理の解読ゲーム」と書いたら不謹慎な気もするところをあえてこの様に。
だからね、この場所に来た人が偶然とか面白半分でもいいのよ。
下記の 本稿ネタについてどう感じるかなんてのは
いちいちcommentくれなくてもいいけど 冷静に考えてみて欲しいね。
これは 裁判での記録らしい。
弁護側弁論要旨、だそうな。
「事実誤認」として「事案の真相」だとか。(<>内は引用原文のまま)
<被害者の死亡後、被害児をあやして泣きやまそうとしたが、結果的に
死亡してしまった。被害児の遺体を押し入れに入れたが、押し入れは
ドラえもんが居る場所であり、ドラえもんが何とかしてくれるという
思いからの行為だ。通常の発想ではないが、精神的に追い詰められて
退行現象が進み小学生の精神状態になってしまった。>
「結果的」に死亡してしまったあやし方とは どういうものか?
少なくとも事件以前の行動や獄中書簡の内容から「普通」の泣きやまし方を
知識や一般常識として認識していたはずと考える方が妥当だろう。
では死に至らしめるあやし方とは??
で、自分がこの陳述に関して虚意を強く感じたのはドラエモンの部分。
通常の発想でなく精神的に追い詰められて、というのは弁論の要旨が
正直ならば「被害者が死して後」の事であるのは容易に読み取れるではないか。
つまり時系列で考えれば被害者が絶命する以前の犯行そのものの時点では
退行以前の状態であったと弁護団が自ずから言っているようなもんだ。
ならば、死するほどの「あやし方」とは?そいつに何も具体的な説明が無い。
判決ではこのような主張を荒唐無稽と決め付けている。
それは全くの「決め付け」で真実に対する考察を欠いたものだろうか?
否。 このドラエモンについては原審では出て来なかった供述でその理由は
被告が言うには「馬鹿にされると思った」からであると。
だが狂信的な集団の事件と比較して思い起こせばこれが虚偽であると察しがつく。
ホントにドラエモンを信じているなら本人の主張は「誰が何を言っても
ドラエモン」のはずではないか?馬鹿にされる、とは被告本人がその
主張のドラエモンそのものを現実に持ち出すことのバカバカしさを
認識していたのだろう。一途に信じるならそれについて同時に自身の中で
疑問を持ち得るものだろうか?
この庵主、法廷経験がある。民事の本訴原告と同時に反訴被告として。
自分のことは自分の問題、という主義だから弁護士には依頼せず
提訴の手続き、訴状、答弁書、準備書面、証拠申請とか全部自分でやって。
結果として(全てには納得してないけど)勝訴。本訴被告、反訴原告の請求を
棄却する、という判決になった。本職の弁護士を相手にしての裁判は
正直なところキツかった。ただ何回か裁判所に出廷して体験として得たのは
物事を正しく考えるとはどのようなことだろうかと思う再度の機会になった。
と同時に法律(突き詰めれば一般社会の規範なり規則)の使徒であるだろう
弁護士にも色々いるもんだと体験学習の場にもなった。
今回の判決。結局、弁護士団は死刑制度反対集団だったようだがそれが
被告に災いしたかと。事件の内容を吟味する以前に弁護士連中の主義主張が
最初に有って強引に被告の案件をその枠の中に入れようとした感がある。
殺人そのものの意図を不存在としたのは弁護士集団の主義を出しすぎた
結果だろうがそれと共に そいつに乗ってしまった被告も つまりは
その程度のもので真摯に反省するという意識が無かったという事かもしれない。
だとすれば被告自身も極刑とするべき理由があるだろうがこの事案は
一切の経緯を無視して単に一般論のような法廷戦術という点のみで言えば
殺人ではなく傷害致死罪を主張した論点から始めているこの弁護団に
依頼した事自体が被告にとっては判決以前に文字どおり致命的だったかと。
ただ何にしろ判決は この事件に関してはこれで妥当だと思う。
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