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2016年11月27日 (日)

これだからなぁ。。。

日頃の住まいを離れて時にフラフラ出歩くのが面白い。

馴染み(?)の福岡&長崎から帰宅。
欧州、東南アジア、オセアニアなら現地を夕刻まで
楽しんでの朝帰りは悪くない。
国内では朝飯を喰うにも慌しいが昼過ぎ程度に
帰宅できるのは楽だ。

週末休日だってさ。
家でゴロゴロしている分には特別のこともなく
昨日が終われば今日が来て。
そいつが過ぎればまた明日ってなもんだ。

いやもう、今回は自場所であるのに書けない話で
非日常の場所ならでは、って体験もね。
(多分、保有者も気がついていないはずの一生、
目にできない珍しいのを目にして触れる機会もね)

いずれ次の過去帳ネタになるけれど旅先で異人さんの
店探し案内を長崎でやるとは予想しなかった。

とにかく良い週末だったってことさ。

2016年11月25日 (金)

んな わけで

出発。

ほんとにまあ。 AM0430起床でも気持ちよく起きちゃうんだなあ。
前夜に準備すりゃいいものなのに。

2016年11月22日 (火)

個人的なコロンビアの印象

南米未体験の自分には全くの空想。
かの国の名から思い浮かべるのは麻薬とSHAKIRA。

邦人学生が強殺被害に遭ったという報道を目にした。
それは自分が知らない場所だから単なる想像だけど。
雷雨降りしきる中での天気予報が本日は雨という程度に
現地の人には当たり前の話。普通の日常かもしれない。

その報道によれば奪われた電子機器(それが何だろうと)
を取り戻すために追いかけて撃たれたと。

およそ日本以外の国で悪事を目論む輩は素手の他に
刃物、飛び撃ちの道具を懐に持っていると覚悟すべきか。

だから厄介神の祓いとして異国で強盗の類に遭遇したら
ダミーの札入れにその国の最高額紙幣一枚と小さいのを
少し入れたやつを見せて投げ捨てろって話を見聞きした。

土壇場でそういう命のやり取り交渉が通じるか分からない。
それもまた運の賭けと生命保険料みたいなものだろう。

店頭での支払い場面で財布を開くのは仕方ない。
だが街中の歩きスマホや銭勘定のみならず異邦人が
旅気分でフラフラ出来るのは世の中で限られた場所のみだと思う。

気の毒な出来事ではあるけれど。 そういうことだ。

<本日の一枚>
航空会社から名札が来た。
業務上の出掛けは前世紀に終わっている。
その後に自分の道楽は赤道上で換算すれば
この航空会社移動が地球20周分になったということ。

唯一、記憶と記録の中で直感的に「ヤバイ!」と
思ったのは放浪過去帳の中にも書いた夜のコペンハーゲン。
あれだけは本当に危機感覚の発動だった。
単に感違いでも物事に遭遇する可能性があったなら
正しい行動だったろうし宿に荷物を置いた身軽の手ぶらが
幸いしたと今でも思っている。

多分この先は国内訪問にシフトしていくはず。
どこであれ正体不明の不安感を感じたならば周囲への注意喚起と
危険予知感覚が薄らぐ方向への動きを考えて損は無い。
 
過去の再掲話になるけれど職場の師匠が「長年それで飯を食ってきた
人間が何かおかしいと感じた時は大抵、その仕事は失敗するか
不満の残るものになるね」と語った。
 
ソコソコの経験を持っている人間の直感、表層心理とは違う由縁の感覚は
馬鹿にできない。これは仕事に限ったものじゃないだろう。
 
但し「欲目が絡む」CASINO話なんて場合は別だ。
直感に従ってとんでもない損札を引いたり。。。
 

20161117

2016年11月18日 (金)

禁足地

万事に不勉強な自分がこの「単語」を知ったのは
つい数年前のこと。きっかけが何だったか。
これも毎度の話で忘れてしまった。
 
有名所としては都営新宿線の終点、本八幡駅の近くに
あるらしい。つまりはその文字のとおり足を踏み入れる
ことが禁じられた場のこと。
 
しごく当たり前の話だがその区画に入ったからとて
神隠しに遭うか冥道府界の道を彷徨うとかで世に戻れなく
なるなんて有り得ない。
 
しかし文明がどう変遷しようと時代の当人が生まれる前から
言い伝えられた話の類は守られて善いものだと思う。
 
祟るものがあったとするなら。
それは人の心がそのように受け止めて良くない出来事を
祟りという言葉で表現しただけのことだろう。
 
しかしね。
 
仮に、例えば、もしかして、実際の話ではなく。
 
表現がクドイけれど禁足地とされる場所に入って
何もなかったぜ!どうって事ないや、と得意になるか
それ程でなくても普通に意識の内に刷り込まれたなら。
 
何か祟るものが有る気がするのさ。
 
つまりは平穏、安寧を能動的、自発的に破って
当たり前とする意識。
それが常習的になる生活感覚はやがて災いになる。
 
そういうのに入ったら「そいつをやらぬ昔に戻る」は
厳しくも困難だろうな。
 
自分の場合は依存症とでも表現する酒やタバコと怠け癖に
ギャンブル。弁解にならぬ言い訳でこれなら他人と直接、
関わらないだろうから少しはマシかもしれない、などと。
まあ、この辺は勘弁してくれよ。
 
世の中には高速道路で制限速度以上に他車を煽るのとか、
一々杯々に飲んで運転するのが当たり前だったり。
他人家庭を巻き込んだって止められない不倫癖とか
年寄り相手の騙し金で富豪気分になる連中なんてね。
 
極端なのだと足りないものは盗む犯すが当たり前で
気に入らなければ刺すか殺すか。それも普通に繰り返し。
 
件の本八幡にある禁足地。
欲や好奇心は人間の本能だと思う。
あれは古から象徴的な戒めとして残ったかもしれんなあ。
大半の人間は有形無形となる社会秩序の中で生きている。
でも統計的な分散としてその枠を破る人間が必ず存在する。
(これも自然現象)
 
だからさ。。。
精神、意識としての禁足地は人それぞれに閾の違いが
あれど存在していると思う。そこから先に踏み入れたら
簡単には元へ戻れない、そういう世界。
 
ここに書くのは全て自分の迷想で。
先日に電通で過労という話から自ら死の選択をした娘。
繰り返しになるが誰でも自身の心の中に禁足地がある。
あの娘も随分な学びを身につけていたはずで生きる知恵だって
持っていた筈だろうが。   しっかしなあ。
その時の意識は戻れない当人の禁足地に入ってしまったもの
だったのだろうか。自分には理解できない。
 
だが自分自身ですら過去には戻れない世界に生きている。
現在の自分。自分の禁足地に居るのかどうかは難しい話だ。
 
自分自身が卑しくなれるなら何でもできる。
己は貴いのものとして。その自分が入るべきではない領域とは。
 
ホントにまあ。迷想ひとつでも面倒くさくも難しい。

2016年11月14日 (月)

雑想の週明け迷想

数日前から喰らった風邪具合は一応の回復傾向よ。
 
だけどね、何かの拍子に湿った感じの嫌な咳が出るし
洗面台で水を流しながら鼻の穴にそいつをすくって鼻をかむ、
ってのが随分さ。
 
これはティッシュで何回もやれば擦れてヒリヒリに
なっちゃうから方法として悪くない。
でもねえ。調子はここしばらくに無い程に駄目なんだよなあ。
常々に人間の活動は化学反応という事を書いてきた。
いまでもそう思ってる。
 
例えば天ぷら油の料理とか寝タバコなんてのは火災原因になってる。
一定の閾値を超えたら発火してどうしようもない状態になるのだろうね。
 
人間の疾病なら肺炎とか脳炎とか皮膚炎とか。
炎症って言葉が使われるけど何で「炎」なんだろ。
現在のゲホゲホ&ジュルジュル状態は悪しき体調の結果なのか
正常な体調に戻るための消火作用=免疫反応の類なのかは知らない。
でも現在は後者だろうな。良くないものを排出する為の身体機能ってことかね。
そうでなきゃ困る。
 
 
一杯やれば呑気なオヤジ。そんな感じならしばらくは極上だろうな。
復調気配だってこの先、何かの時にいつまで元の自分に戻せるか?
こいつが自分への課題ってもんで。
ホントに煩わしいのは色々だ。

2016年11月10日 (木)

邪な風に吹かれて

体調は本年に最低。

昨日の午後から何か調子の悪さを感じて早寝を決め込めば
明け方に喉から鼻の奥までヒリヒリのグジュグジュ。
 
幾分かはマシになったものの鼻水がどうしようもない。
疫鬼が通りがかった人間へ戯れに「風邪の冠」を載せてやろうかい、
ってな感じでキリキリと頭痛がする。そんなアイテムは要らないのだが。
 
牡蠣に鱈の一切れ。きしめんと小松菜を加える。
ゴマ、あおさ。それに七味を振りかけて晩飯終了。
 
晩酌には物足りないがこんな夜は早く寝るにかぎる。

2016年11月 6日 (日)

下書き20161106

帰宅と反省。

あれは誰の小説だっただろうか。
国が情報操作して戦時局面と国民に広報して。
老人から徴兵して出征者は還ってこないっての。

床屋と羽無雲長氏。三分間に彼と昔の奥方と現在の。

床屋の帰りに実家跡に行ってみる。
いままで一度も見た事が無い植物。

親の顔見る。親父はあと何年だろうか。
老母は俺よりも足がしっかりしている。

帰宅後、ラジ英のストリーミング録音。
遠山顕さんの体調はどうだろうか。

明日からの平日。

2016年11月 5日 (土)

(下書)

早起き仕度
酒と腹
爺さん留守番
酉の市

2016年11月 1日 (火)

庵主の翁話

おや、まあ。 
今朝からこの雨ですから。
あなた様が何処に出かけるあても無く、とりあえずの
手持ちになった時を使うのにもこんな所まで来て頂いて。
 
さりとて何の手土産にすら成りませんが西洋暦からの話を。
 
昨日はハロウィンというもので。
 
あィ~ん!は志村けん ですね。
平成世代の人は何の例えか分からないでしょう。
 
題目の場合は うィーん にアクセントが有りますけれど
日本では第一音節が強かったりします。
もうこの言葉が日本の騒ぎ題材に取り込まれたというもので。
 
後世の「悪魔の辞典」日本版では。
脳の中身がカボチャで出来た連中のために渋谷で騒ぐ祭、
と記されるのでせうか?
 
時代の経過は世代の違いですかなあ。
この勢いならイースターも亦、色付き茹卵を食べて騒ぐ日と
来世紀は流行になるのかもしれません。
 
そんな事は予見できるものでは無いですし
今の誰だって三世代後の日本世相を読める人は
まづ居りますまい。はい、戯言で渋谷話へと向かいます。
 
新宿、渋谷、数寄屋橋は子供のころの遊び場でして。。
 
白さらしを纏って手や足の無い帰国軍人さんか
そういうのをわざと装ったのかわからない大人が
筵を敷いて座っている姿を行く毎、目にしたのです。
 
記憶の中では渋谷特有の風景でした。
東京ならば池袋や品川、上野辺りだって幾人か座っていた
のかも知れませんが自分の記憶の中では渋谷の名物
だったわけでして。
今に思うならそういうものにさえ元締めや縄張りの類で
仕切りが決まっていたのかなどと。
 
大学時分に福岡の家族から一足早くに戻って当時は
明治三十三年が生まれとなる祖母と二人暮らしを
していました。ええ、昭和の時代はその後も随分に続きました。
 
なにしろ老人は先の暮らしへ特に新しい展望が
見えるわけでもない反面、過去の経験は歳相応に
持っているものですから毎夜の昔語りに耳を傾けて
倦むこともなかったわけです。
 
わけても当人の祖父母は本物の江戸時代に生きていた
のですから聞き伝え夜話がまた気の遠くなる昔話で。
 
ああ、渋谷の話でしたね。
いやもう、現在の自分には様相すら想像できません。
ですが連想するものはありました。
 
エリナー・リグビーです。
 
All the lonely people.
Where do they all come from?
 
All the lonely people.
Where do they all belong?
 
あれあれ、今朝ほどの雨も上がって随分と陽が。
これからの雨は降る都度に涼しさを重ねて
いつの間にやら気がつけば寒い、とでもなるのでしょうなあ。
どうぞ傘をお忘れなく。

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