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2017年4月30日 (日)

特に予定は無いけれど

と思っていたら職場の若いのから
祝言披露に招かれていたっけよ。

礼服引っ張り出して久々の正装さ。
ズボンが収まってよかった。

来賓席で他の親方衆と話をするにこういう場で
こういうのを着るってのは。
この先には当分無くてネクタイの色が違う別の機会が
多くなるだろうなあ、ってね。

この連休に自分の親は初めてデイ・サービスなるものを
使おうか、ということで相談がてらに帰省する。

寝たきり十年の辛いグズグズより元気で五年の笑ってポックリ。
不謹慎だろうけど人にいつか必ず来る話なら
後者の方が良いと思う。しっかしコレばかりは分からねえ。

呼んでくれた本日の主役は幸福感絶頂の表情。
これからSWEETな日も有れば中辛週間もあるだろうが。

まあ、めでたいことさ。

2017年4月28日 (金)

困っていた話

この一週間、午前三時頃になると目が覚めていた。
そのまま眠れず時間的な生活のズレがどうしようもなかった。

今朝もだ。

あと一日。とりあえず仕事のGAME PLANを考えて
夕方になれば9連休突入。ゆるゆると調整しようか。

一度は帰省しようかと考えているけど
本格の予定は恒例の社内麻雀程度で他にはナニモ無し。

まあ、それもいいか。

2017年4月27日 (木)

Midnight the stars and you

1934年の歌だって。
 
自分の親父の生年のもんだ。
いい感じだと思うよ。
 
そいつに関わる映画の話。
All works and no play makes Jack a dull boy.
1980年。
 
これはこれで怠け者の自分には真理さ。
 
先の迷想ネタにしたそいつの続編、Dr.sleepは今世紀の話。
 
人が決めた尺度で夜明けや夕暮れを見る都度に一日。
太陽の周りを地球が一周するのが一年。
浮世に生まれて来て、死んで逝くならそれで一生。
 
これで明日が終わればG.W.として連休になる。
 
何にしろ万事が 待つのは遠く、過ぎるのは一瞬。
そんな感じ。

2017年4月23日 (日)

恋も二度目なら

表題とは無関係に書く事は中森明菜の歌の話じゃない。
 
昨夜に帰宅した旅話のことさ。
 
MALI STONの生牡蠣と店の雰囲気は良かった。
 
欧米圏だとラスベガス、ブラッセル以外では一度行けば
気に入っても再訪より見知らぬ街を訪問するか、
そんな感じ。
 
だがクロアチアはいつかもう一度行きたい。
幻計画になったMOTOVUNと次回のOPPORTUNITYが
あるならSTONで一泊するだろう。
 
ホントに生牡蠣は自分のテーマに成り得るのだなあ。
そしてCASINOも。今回は幸いなことにBLACK JACK先生の
おかげで滞在費用以上のものをCASH BACKしてもらった。
BUDAPESTのそれは自動シャッフルでなくディラーの手捌き。
おまけに欧州の中ではPLAYER有利なHOUSE RULE。
所詮は運にしろ日頃に忘れている暗算と記憶力を試すには
良い機会だった。
 
これで次の連休が終わってから翌週に定番的BKKへ。
持ち帰りのEUR100札何枚かを外貨貯金箱に入れるにも
何を喰ってやろうか?だ。Soi24の一芯で蕎麦だろうけど。
 
次回はどうだろうか。
欧州は2019年以降になるはず。
その前にソウルで旅の公式ユニフォーム。
半袖羊革の革ジャンを三代目として注文したい。
一品考のネタにしたこれは実に重宝している。
 
ただ。。。旅先宿で毎夜に目にしたTVでCNNやBBCの報道。
かなり半島情勢にはBLACK JACKで次のカードよりも
読めないものがある。
 
世の中と自分の逝く末は?

2017年4月22日 (土)

帰宅してみれば

台所に羽虫が乱舞する状態ではなく
出発時と同じ室内風景に一安心です。
乱雑加減には変わりないのでありますが。
 
今回は甘辛混ぜ合わせ煮の味でした。
 
旅に限らず何かの目的や意思を決定する時。
何をどうしてどうする?
解を求めるために組み立てる仮説や仮定。
 
例えば、WEB情報はそれの要素となる一断片で
そのまま結論になるわけじゃありませんね。
誤りの門を通るために手にした偽りの切符にさえ
なる場合がありますよ。
 
でもまあ、こうして今。
自分の部屋に戻ってきたということは
とにかく無事に日程を終了したわけで。
 
はい。振り返ればもう満足の一週間でした。
 
これだから暇つぶしズル休みには毎度に魅惑の香り。
 
あとの問題は今回の過去帳整理と週明けの仕事話が
どうなっているか、ですな。うひゃひゃ。

2017年4月14日 (金)

さあて 行くかよ。

この先、どんな一週間になるのだか。

2017年4月12日 (水)

愕然とする身体事実

いきなりで申し訳ない。
とにかく自分は粗忽者だから日常生活での失敗には特番バラエティが
組めるほど各種の「あ~ァ。。。」には事欠かない。
 
こいつは3年前の記事に使ったやつ。
指先本筋の血管を切らなくて良かったなあ、って今になっても思っている。
 
<2014年 5月 11日の画像を再掲載。痛かった人差し指>
http://ansh.cocolog-nifty.com/ansh3/2014/05/post-f65b.html
 
001
 
じゃあ、その後の展開は?
やってしまった人差し指。今までに何もなかった中指と並べたって
当の自分にさえ傷跡の区別がつかないくらいに再生復活している。
 
これに関しては再三のネタとしたテフロンシールテープが手指であれば
外科医に縫ってもらうくらいの切創だろうと、どれ程に特効的か身をもって
何度か体験した。 やはり一家に一本置いても良いだろう。
 
だが今回の話は製造元の日本バルカーを宣伝するためのものじゃない。
 
20170412
 
だからこの話は三年ほど前の話だ。
その後にも「痛って~!」を随分とやっている。

自転車でコケそうになって足の甲をべダルで擦りむいたり。
何かの拍子に脛を打ち付けて沈黙の苦痛を味わったり。

ところがさ。  昨年あたりからなんだけどね。

一応の治癒はしても痕が残るんだ。
皮膚が元の状態に戻らない。

「数年前の指」と比べたらどうってことない話だぜ。なのにこれだよ。

生物としての修復機能に誤りが生じているってか???

子供が成長、あるいは生長する内に背丈が伸びて「ひ弱な外観」から
逞しさなり色気が出てくるのと同様に一定年齢を過ぎれば壊れていく
のが生き物のプログラムなのだろう。それが老化とも言うやつかね。

自分だけじゃなく誰にとっても皮膚は一番外側になる目で分かる話。
それはそういうもんで仕方ないかよ、で納得すればまだマシだろうが。

怖いのは自分にさえ見えない内側の変化ってもんだろうか。
心身の両方でさ。

別に憂鬱なわけじゃないよ。

俺はね、随分と前から生命ってもの(あるいは自然界の中でそういう現象)が

なんで存在することになったかってのに相当な興味が向くのさ。

宗教観や哲学とはまったく別。
人が命名するなら「自然科学」と「宇宙」の中で命は事実上、存在してるし。

書いたらきりがない。迷想の果てがどこに行くのかも分からんが謎だらけだ。

201704122

とにかく怪我には気をつけるか。。。

2017年4月 9日 (日)

コレといってソレほどの事もなく、しかし。

そう悪くない週末だった。

記録はいずれまたそのうちに。

寝よう。

2017年4月 3日 (月)

毛布を押入れに。

これで今季終了と寝床の毛布をコインランドリーの
洗濯&乾燥機でガーーー!とやってビニ袋へ。
 
昨夜。
久々の純綿シーツで寝たなら一直線に朝だった。
心地よい睡眠。
 
今朝。
目覚めて冷静になれば月曜日である事実に落胆の一瞬。
 
それにしたって春だ。

2017年4月 2日 (日)

終わって始まった年度区切りの迷想。

ホントに最後の方は職場に居ながら怠ける暇が無かった。
年々に心と体と思考はくたびれていくばかりだから疲れたのなんのって。
 
ただ長年この仕事をしているけれど好きでやれるのは適度な怠け癖が
奏功した以上にこれ以外の天職は無いと根本的なところで思っているから。
ビタ一度だって嫌だとか働くこと自体に飽きた事は絶対にないはず。
 
ラジオで働く動機アンケートの結果を聴いた。
収入を得るため、あるいは社会に貢献するとか自分の生甲斐とか。
そりゃ報酬を得られないなら働く意味は無い、ってか生活自体が成り立たない。
あとは自己満足風に理由を思いついたって一発短期の話ならともかく一生に
様々な変化や場面が有る中でそんな動機付け(これを本来の意味で英単語に
すればMOTIVATIONだろうか)を維持継続できるか疑問詞???だ。
 
俺はね、何のためにこの仕事してるかなんてビタ一度も考えたことはない。
生活の中の空気みたいなもんで生きてく時間を暇つぶしするうちに
自然と自分の一部になったようなもんだ。
(だれもが呼吸をする理由なんて考えないだろう。それと似たようなものさ)
そんなのを何十年か重ねて現在の暮らしになった。
満足どころか自身の心技体能力からすれば過分の上出来ってね。
 
昼飯を一緒に食う同い歳の別職場親方が言う。
いやあ、俺たちはツイてるよな、と。そして全くだよなぁ、と応える。
学生時代に出来の良い奴は大手の企業に就職した。SHARPとか東芝なんかの。
現在の状況からすれば気の毒な場面があるかもしれない。
 
道楽に関しての面白さは自分の心の内に在って、それが仕事にも及ぶなら
自身の意識の他、企業活動としての結果に影響する場合すら有ったりして。
ただ単にそう想ってるだけの話よ。
 
世の中には「運を呼び込む」という類の謳い文句で各種怪しげな通販商品が売られる。
常々、人生すべて運と縁と思っているが経験則からすれば運を呼び込む方法は、、、
無い。 間違いなく無い。それこそ別名である「偶然」が偶然たる所以だと確信している。
 
では運=CHANCEなり機会=OPPORTUNITYを逃がす方法はどうか?
これは十分に存在しうる。
 
偶然の要素とは別の話になる。
今になっても記憶しているということは一生、自分のどこかに残るに違いない。
それは中学時代に担任の一度だけ一瞬の一言。
 
「みんなと同じなら、結局みんなと同じなんだよ」 とね。
 
次の五輪中継時には役職定年になって社内隠居みたいなものになっているはず。
 
よく遊び よく働いて また遊び 少し働き また遊ぶ。
 
最後まで自分のスタイルが通用するならこれほど幸運なことは無い。
 
と、年度初めの週末に庵主は想う。

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