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2007年7月26日 (木)

甲府@山梨県 <2006.8.20>

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<2006.8.20>

何であれ8月の中旬とくれば夏休み、である。

後半は何をするでもなく部屋の片付けでもするかと。
普段は乱雑な生活空間も小奇麗になり気分良いし余分な
出費をするわけでもなく尚更に都合がヨロシイというもんだ。

夏休みの時期というのは終戦記念日が入る。

人も地球の上で生きている以上、人為の争いとは別に様々な
種類の戦いがある。
その相手は地震や台風、噴火、旱魃等の自然災害であったり
害虫、疫病あるいは飢餓や環境変化等々。。。

本棚を整理しているうちに昔の本なんぞを幾つか読み返すうちに
方向が完全に違っても一種の戦没者慰霊という意味で参拝に
出掛けてみようかと夏休み最終日に決定。

行き先は靖国神社ではなく山梨県は甲府市へと。

甲斐の国で思い浮かぶ名物は「ほうとう」か。
いくら自分が放蕩者でも少々うどんやきしめんと趣が異なるこの料理は
残暑厳しい今の時期には似合わない気がする。
寝坊して遅い朝飯&早い昼飯の兼用でついでに握り飯を幾つか作る。

「森の石松」の森町を通り掛川から東海道に出るルートを選択して途中少しだけ
会社に行けば明日からの装置立ち上げで寄り道したと言う同僚の○ょ○氏とすれ違う。
行き先は違うが休みを持て余し気味は同じか。ともかく今回の珍道中Start。

普段使う機会は無いが静岡県の一般国道1号線はバイパス化が整備されて
非常に快適になっている。しかも少し前から無料になった。
だが自動車関連で支払う相当な税金の事を考えればむしろ当然の事だと思う。
静岡市街地北部と清水付近は平面交差で慢性的に渋滞する様子なのが惜しい。
次郎長親分の清水の先、興津から甲府方面に52号線を北上する。
途中、「道の駅」も設置されて山間道路でも整備は進みつつある。
特に身延近辺で富士川横を通るバイパス高架橋入口の景観はナカナカのもの。

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出発から約三時間で最初の目的地に到着する。
橋の上に立てば左に釜無川、右に笛吹川で合流した背中から後ろは富士川になる。
エジプト方面は未知の世界だがチグリス、ユーフラテス川が成す地域は肥沃な土地
であったらしい。目の前の川が作る甲府盆地も地形から考えればそうであるはず
だろうが反面、エジプトのそれと同じく古くは武田信玄の時代から物の本に残され
10年ほど前、20世紀も終わろうかという頃に終息を宣言するまで長い風土病との
戦い最後の地が甲府の一部だったそうな。
その場所へ嫁ぐに嫁入り道具でなく経帷子と棺桶をつけるという民謡までが
江戸期にはあったとか。

甲府地域の他、以前には利根川や富士川流域と静岡県の沼津近郊、広島県の
片山地方、福岡佐賀の筑後川流域に限定的な流行で多くの人が犠牲に
なったという風土病の正体が判明したのが約100年前、明治年間の
話で天然痘が撲滅されるよりも更に後の時代にまでこの「戦い」が
長引いたのは余程に厄介な相手だったのだろうと思う。

病状は緩やかに進行し末期では腹水で腹が膨れ肝硬変のような病状を呈すると言う。
今の浮世では誰でも何処に住んで何をやっても好きなように出来るものだが
日本でさえ現代以前ならばそれは一種、流れ者的な異端の生活であり、ましてや
災いを避ける為でも集団で移住するなどは到底不可能に近いものであったのだろう。
風土病というのは文字どおりその土地に住む人間の生活様式、環境や習慣にも
関わる部分が多分にあっても代々と生活していた場所を棄てることはできず
風土病の傍らで生きてソレで死ぬ「業」を背負う人々が過去に多くいた様子だ。

何よりも同じ病状となるこの風土病が日本の中では限定された数地区のみに
発生するというのが奇異でもあるが(同時にそれが風土病たる理由でもある)
解明の糸口となったのは一農家の女性であることは間違いないらしい。

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その人、杉山仲は現在の甲府市向町にある普通の農婦だったそうな。
不幸にも、あるいは必然の結果として40代からこの風土病を患うことになる。
当時はそれもまた普通の事ではあったようでも尋常では無いのは原因を
解明するために死後の解剖を願い出たという点にある。
当時は簡単に役所から許可されないことで解剖自体が忌み嫌われ遺族が
到底承諾するものではなかったらしい。
おそらくはその風土病に長く関わった土地の医師、あるいは医学者の思惑が
(それはむしろ謎の解明を求める情熱とでも言うのが適切だろうか)
作用したかも知れないが当時、未知の原因による風土病で臨終を迎え 
その究明を願う当人の意思が基底になっていることは否定できまい。

明らかな死に直面する人間の意識は。。。生きる意味より先ずは
その生活の中で道楽を楽しもうとする自分に絶対に想像も理解も
できるものではないが、ただ今では一種の伝記の中でしか知る由が無くとも
杉山仲の最後の生き方の表現には自分は敬意を持つ。1897年の事らしい。

杉山仲の解剖結果、肝臓には未知の虫卵による結節が多く見られ(後に
肝硬変と類似性を持つ病状は蓄積された虫卵から分泌される蛋白質の
分解酵素によるものと判明、らしい)風土病の正体は未知の寄生虫に
よるものとおぼろげながら推察されたとの事である。
解剖に立ち会った地元の「町医者」三神三郎と後にこの病名の原因となる
病原母虫の「世界的な発見者」桂田富士郎の奇妙な「運と縁」の面白さは
ここで書かない。
これ以上の興味がある御仁は勝手に調べていただければ良いかと思う。

文献から見る限り何百年と続いた風土病の正体が杉山仲の解剖後、世界の
各地で判明したのは数年の後の事でその発見に至る時間差も僅かな1年に
満たない期間だったらしい。現代と違い通信や情報、人間自身の交流が
おぼつかぬ明治年間にしては非常に「面白い」出来事だったと思う。
山梨の三神三郎と岡山の桂田富士郎。
二人が偶然に出会ってその後、互いに思う事無ければ風土病の正体
「日本住血吸虫症」は違う名称となったのは間違いなさそうである。

緩慢な経過の後に手遅れならば落命に至る点で厄介な同種のものは
エヒノコックスだと思う。本来の流行地、礼文島から現在では
北海道反対側の根室付近と本州東北部にまで発見例が有るという。
これは徐々に蔓延地区の拡大傾向が見られているのに対し
日本住血吸虫症は古来から極く限定的な風土病でしかなかった。
しかし明治時代に病因が判明して尚、全山梨県民の年間死因1%以上が
地域の風土病=これによる流行期があったという。
あるいは一地区中で老衰の二倍以上という最多死因となった時期も有るとか。
交通事故なら現代でも日本全国で年間1万人近い死亡者が発生して場合に
よってはNEWSネタにもなる。が、それは全人口比率では0.01%未満という事を
考えれば死因比率でその100倍以上になるこの風土病が山梨県特に甲府の
近郊ではいかに猛威で脅威であったかという深刻さが想像できるだろう。

限定的な地域に流行するから風土病なのだが日本の名を冠しながら
国内では数ヶ所の流行に留まったのは日本住血吸虫の生活史が関係する。

人は産まれた時から人であるように鳥獣もまた成長の中で姿形をそう変化させる
ものではないがセミや蝶あるいはカブトムシ等、およそ虫の類と言うのは
古い女房が寝起きの不機嫌な面から外向きの顔に化け装いを施して別人の様子に
なるよりも尚一層、成長する内に劇的な外観変化をする時期がある。

日本住血吸虫もその例に漏れず卵から孵化した後に最後の宿主にたどり着くまで
何度か姿を変えてその際にも中間の宿主を必要とする。
生き物とは全くそれ自体が「生命の不思議さ」であるけれど何でまたコンナ
生き方をするものが存在しているのだろうか。
困窮した貧乏人がしばらく食わせてくれとばかりに居候で転がり込むのと違い
先祖代々、一族郎党全てが根本的に他人の懐をアテにしているのである。
宿主にされる側には何の役にも立たず厄介この上ない。
世話になった礼に与えるものが宿主には「死」となれば尚更、災厄となる。

成虫は人種に関係無く犬猫や牛にまで害を成すのに幼虫は極く限定的に
片山貝あるいは宮入貝とも呼ばれる単一種の小巻貝を中間宿主にしなければ
生育ができないそうでタニシやデンデンムシのような他の淡水、陸棲巻貝では
ダメであるそうな。どれも似たようなものだと思うがどうにも居心地が悪いのか
やはり不思議な事だと思う。(但し人間に有害無害は別としてそれぞれの貝を
宿主とする寄生種は存在する)

釜無、笛吹の川を眺めて車に戻り出掛けに作った握り飯を食う。
今も甲府盆地に多く残る水田。
杉山仲の特志解剖から十余年、流行地と田の傍らに住む宮入貝の
生育分布地に着目して中間宿主を特定した学者の根性もたいしたものだ。
学者先生だけではない。自分の関わる世界の中で事実の幾つかを結びつけて
そこから真実を見つけると言うのは誰にとっても必要な時があるのだろう。

両の川に挟まれる地域まで行くと水田の横にU字溝が走りその中を水が流れている。
ふと見ればタニシらしき巻貝がいくつか。宮入貝の姿は無い。
卵から幼虫、幼虫から中間宿主を経て水に触れる農作業の人間が経皮感染した
(皮膚から侵入すると言うのが何とも言いがたい嫌悪感)成虫の産卵。
この悪しき輪を切るには中間宿主である宮入貝を消せばよかろうとなって
水路のコンクリート化や湿地埋め立て、殺貝剤散布、あるいは自衛隊の焦土演習
によってようやく宮入貝の姿を消すまでに要した年月が数十年という。
途中には環境保護団体の猛烈な反発もあったらしい。
つまり宮入貝を駆逐するために湿地帯を埋め立てれば野鳥の飛来生息地までも
失うという環境保護という観点がその主張で。
この項目の本題から少々外れるがそれは何故、宮入貝を駆逐せざるを得ないか
と言う本筋の趣旨から考えてみると余りにも近視眼的な(自分の見える、あるいは
見たい近い部分にしか視点が定まらない)主張だったと自分は批判的感想として思う。
捕鯨反対運動にもこのような雰囲気を感じていてどうにも賛同しかねるのだが。

明治年間、19世紀末に病原母虫が発見されてから相当年月が経過してようやく
最後の流行地であった山梨県は一応の安全を平成の世になってから宣言した。
その間にも病因判明後に数世代が犠牲になった地域が有ったのだろうと思う。
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休日最後の午後。甲州街道。
甲府市街の渋滞を緩々走りながらこの道をそのまま行き続ければ自分の実家の前まで
行くのだなあと漫然に思いつつ向町二丁目の交差点を過ぎたあたりをナビの無い車で
直感的に横道に入る。丁度、このあたりの国道20号は高架橋になっていて平面的な
地図ならば分からぬうちに通過して少々迷った事だろう。

車が双方、すれ違うにも苦労する田舎の裏道めいた場所を少し走ってうまい
具合に目的地を発見する。
土地の名刹を想像していたのだが失礼ながら当り前の普通の寺と言う感じ。
車が五台はいったら満車となるような境内に駐車して少々戸惑ったがココまで
来たのだからと図々しく呼び鈴を押せばダルマのような住職が登場される。

訪問の趣旨を伝えると眼前の石碑を指差して「ああ、それは ほら、そこにありますよ」
と言われる。「随分と古いもので文字も分からなくなってしまいましたが」と傍らの
住職が説明するのに見ようとしても星霜の重さが石を擦り落としたか読み辛い上に
ひらがなの無い漢文調になっているようで尚更理解不可能だった。
それでも石碑に彫られた日本住血吸虫の文字は分かる。

この分野に関して発見者である桂田富士郎は偉大であったと思う。
今日でも功績ある者にその名を冠した賞が与えられると言う。
が、その偉大さも土地の一医師、三神三郎がいなければ現実のものには
ならなかったのでは?と少なくともここまでの経緯を単に書で目に
しただけであるにせよ自分は思う。
同じく杉山仲の特志解剖が無ければ今日の結果もまた別の紆余曲折を
辿ったかもしれない。

事前に何の連絡もせぬ上に挨拶の手土産も無いまま突然の訪問を詫びて
頭を下げれば住職は笑いながら「いやいや、かまいませんよ」
「資料も昔はあったので御覧いただこうかと思いましたが先代から譲り受けて
どこにしまったのか見当たらなくて」と言われるのに尚更恐縮してしまう。

桂田富士郎と三神三郎ほどの決定的な出会いでなくても。
知りたいこと、知らないことを知りたい自分が無節操に知らないどこかに
出かけて誰かと会って話をするのだから何度やってもこんな珍道中は面白いや。

三神三郎は野口英世と医進学校の同級で特に両名は優れた成績だったらしい。
モノの本によると千円札の人は見方によっては研究熱心とは別の自己アピールに
燃えるという派手系の人でもあったそうな。偉人伝というのは教育的配慮って
とこから旨み部分だけをPICK UPしている傾向があるのかもしれないね。
あるいは野口英世の手指のハンデからどういう形であれ自己主張が強いと
見られても本人は逆境感を克服するために必要な表現方法だったのかもしれぬ。

三神三郎は生涯を甲府の町医者で過ごしながらこの間に日本住血吸虫の
駆虫薬についても研究し病人を診ても倉は建てぬの姿勢に徹したそうな。

何も知らなければ普通の寺。
自分が来たこの場所で杉山仲は奇病の原因が判明される事を医師に託した。
自分の出生以前にこの世の人ではなくなった三神三郎は石となった
杉山仲をこの場所に訪れて頭を垂れる事が有ったという。
両者の名を思い浮かべ他に思う事は何も無く杉山仲の顕彰碑に手を合わせる。
合掌。

しかし撲滅は日本の国内のみの話で「日本」住血吸虫の罹患者は中国他
アジア地区で今も相当数であり、熱帯性のマラリアを除いても原虫を含む
寄生虫症の感染機会にさらされるのは自分の解釈に誤りが無ければ
BILLION、十億人単位だと言う。
そして世界中では日本の総人口に匹敵する人間が各種の吸虫症を患うとも。

島国と言う地の利が有るにせよ日頃、役人の所業には何かと批判的な自分だが
現代日本の衛生事情は驚異的というか奇跡的とも表現できるほどに称えて
よいかと思う。(論題は違うけど米国産牛肉の輸入再開はどうなのかなあ。
過去の例でもハンセン氏病の事を考えるとやはり役人は役人、なのだろうか)

そういうわけで日本住血吸虫は国内で とりあえずの撲滅は宣言された。
しかし今現在でも宮入貝は山梨県の一部に生息しているという。
今回、自分が記した中では甲府近辺と書いたが古来から自治体で言うと
現在の甲府よりも韮崎市近郊の方が宮入貝の濃厚な汚染地帯だったらしい。

数十年来、関心があったことで 改めて知るというのはこの場合に
不謹慎ではあるかもしれないがやはり面白い事だと感じる。

甲斐に来て 貝は見ずとも 甲斐は有り by 庵主 (駄)

随分と前から日本の海外資金援助でその無駄を指摘された例が多々ある。
利権や政治の金とは別物でこの方面の実績を何とか世界の人間の為に
役立てることができぬものか、と思うのだが。

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