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2009年12月22日 (火)

世界の暮らしもそれぞれに ソウル&その近郊<2009.10.31-11.2>

001

現代の日本。普段あまり他人様の生活に目を向ける事をしませんので
実際の所は良くわからんのですが、もう随分と物には恵まれるように
なった様子ですな。 一家に一台どころか携帯という形で大半の人が
電話機を持つようになって昨今では電話以外の機能から端末と呼ぶらしい。
自分は使いこなせなくても気にならないからどうでも良いのであります。
むしろ手にしてないと落ち着かない、となれば何やら機械仕掛けの麻薬
みたいな気がするのでそういう中毒にはなりたくないのでございますよ。
いえね、使いこなせないから負け惜しみを言うんじゃありません。
株なんかも若い人たちがインタネットで日銭を転がして一喜一憂
しているような話も見かけます。 収入を得る道筋としての勤労は
人生の中でも相当に大きな要素だと思うのですがね。
本職の証券業界人は別として掲示板の文体から察すると株式や相場は
若い内からゲーム感覚で随分と手を出すのもあまり好ましい印象を
受けないわけでして。もっとも彼らの人生ゲームで行く末が貧乏農場でも
大立て者でも知ったこっちゃない、となりますかね。

01

昔の日本、どのくらい昔の話かと言えば庵主が生まれた頃、あるいは
そいつのチョイ前の話であります。物心ついた時には終戦の雰囲気は
周囲に全くありませんでしたよ。 唯一の名残みたいなものはビッコや
片輪(死語:カタワと読む)になった白い軍装束でアコーディオンを
弾きながら通行人に小銭を乞う姿の人達ですかなあ。
これは昭和40年代前半まで新宿や渋谷あたりの駅周りに多く見かけた光景で
記憶として御存知の年配の方々がおられるかと。

02
さて、庵主は全く知らない話でありましたがその頃には「地上の楽園」への
帰還事業が始まったそうであります。つまり見方によってはそれ程までに
当時の日本が貧しかったのかもしれません。
と、書いたものの少し違うようでもありまして。
ただ、現代に比べたら貧富格差のコントラストが強烈だったのでしょうなあ。
それに時代に関係なく存在する役人や政治家の狡猾さが珍しくも
話の物陰に姿を見せていたかと。
(信じられない事にこの「事業」は1980年代前半まで実施されたらしい)

03

東京23区での人口は880万人(2009.7現在) ソウル特別区は1040万人とか。
東京と同じく煌びやかに人出で賑わう街もあれば格差というのは
こういうものかと実感させられる場所もまたあるのでございます。
物はなくても自由があるさ、ならどうにかなるものでしょうな。
ところがそんな大都市から数十km離れると「地上の楽園」という
別の国が隣にあるそうで。 伝聞からの話なので実際のところは知りませんよ。
いくら自分が物見高くても迂闊に そんな所へ行けば帰ってくるのだって
危うっかしい目に遭う可能性から訪問したいとは思わないのであります。

04

さて今回はそんな国境近くの街を酔狂道楽から少しばかり見てみようかと。
行き先はモノの本に述べられて知る人ぞ知る、知らない人は全く知らない
ヨンジッコリとポンウォンリってとこに。ひところ流行った韓流番組のような
物語性も感動もなにも無く、一部には眉をひそめる向きも御座いましょうが
自分の行動自体がアドリブドラマですかねえ。
一向に旅話に進みませんでしたが ともかくようやくに本題。
―――――――――――――――――――――――――――――――

05
前日の残業で珍しく就寝は0時過ぎの起床は5時半。寝不足感以上に気分は爽快。
7時の空港バスは満席につき一つ前のAM06:35にて中部国際空港へ。
これも相当に混んでいた。近隣座席の客は耳に入る内容から「どっか比較的
大きい病院の看護婦さん」三人組でこちらは早起き、寝不足のウトウト。
彼女らはペチャクチャと実によく喋る。彼女らの「現場」では随分と
世話になったし語りかけられた言葉に癒されたりもしたから感謝でも
こういう車内だと単にうるさいな、だ。(苦笑)
気がついた事:インフルエンザはまだ流行している模様で車内あちこちから
時折に咳の声が聞こえる。
マスクをする、タオル、ハンカチで口を押さえるなどすれば良いのに特に
中年、年寄り以上の連中は遠慮がない。

06

ともかく現地到着で今回はCOEX.方面のリムジンバスに乗車する。
毎度の7LUCKでBLACK JACKだけどどうも気乗りしない。テーブルの一つに
見覚え有る爺さんがいて この人、以前に隣に座ったら「俺が二ヶ所で
賭けてんだからお前は座るな」と嫌な印象だった。
(BLACK JACK ではそれもアリだけど二ヶ所以上でやりたがるのは素人だと思う)
好々爺という言葉とそれに相当する人物は間違いなく存在する。
が、数としては国を問わず ろくでも無い爺婆の方が圧倒的に多いだろう。
メモ書きの隅にW1M負け、とある。

07
寝床は探すまでもなく江南地区の常宿になったモテルで宣陵駅方面に。
道を一本北の按摩街を歩けば日韓共通の風貌をした客引きが声を掛けてくる。
話に乗るつもりもないが冷やかし半分で一体、オイラを何処に連れて
行こうってのかね? と言えば結果は何となく直感的に自分も目についた店だった。
ダイジョブなもんかなあ、と思ったら全然OK。
以前の別場所より一割安くて客層も普通でソコソコに繁盛している様子。
店のママさんもノリが良い。土産の菓子折で中部空港で買った「東京バナナ」を渡す。
今回は思う事あってどこか 気に入って再訪しようかという場所があれば贈ろうかと。
日韓友好、である。

08
夜食で近所の食堂に。牛骨湯とライスにビール。合計で¥780程なり。安い。
皿にはビニル袋が被さっている。このまま使えば店側も洗わないで済むという
エコスタイルでソウルでは多く見かける。汁物に飯を入れてかき混ぜてから
スプーンにて食するのが作法との事だったから結局、この皿は使わなかった。
街角食堂では大抵、オバサンが店番で今まで全て友好的で親切。
宿のモテルでは毎度の洗面セット。
また持ち帰りで自宅の旅道具箱に幾つか保管する事になる。

09
連れ込み宿風でも寝心地良いベッドと12時のCHECKOUTはありがたい。
前夜の寝不足を解消して夕刻近くまでまたまた7LUCKに。
記録によると48勝37敗+W60万で切り上げ。

10

さて夕刻前にヨンジュへ移動。
地下鉄2号線で三成から新村へ。地下鉄と国鉄は少し離れているから
ザラッと駅の案内板を 見てから歩くも少し迷う。
通りがかりの若い娘でも捕まえて道を聞こうかと思ったら目の前に
一風、変わったカレー屋。和風の佇まいで日本語看板だった。
でも経営者は現地の人みたい。 遅い昼飯、早い夕飯でカレーを。
時刻は15:20なり。

1201
ユンジュッコリは以前の情報だと新村駅が始発のような事が書かれていたが
ソウルからに変更になった模様だった。でも一時間に一本だけ。
電車はそのくせ普段の地元私鉄よりも綺麗で車内は液晶画面の案内も装備されている。
地下鉄6号線のデジタルメディアシティや大谷でも 乗り換え可能になっていた。
地下鉄のT-CARD(パスモ、スイカのようなICカード)も 共通で使用可能。
切符購入時の言葉の壁が消えるだけでも随分と楽だ。

1202

ということで 後半のPART-2に 続くのよ。

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