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2011年10月30日 (日)

良し悪し色々。アウシュビッツへ<2011.2.25-3.1>

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昔に紹介した自分にとって鉄道旅行の聖書としている山下裕氏の
世界鉄道珍道中。今回の目的地はその一章にも記されていました。
それ以前からどうしてその様な場所を自分が訪問したいと
思い始めたのかこれは自分にも上手い説明が出来ないのであります。

ただその思いは強烈で二年程前にも計画して航空券と宿の予約購入
までしたのを得体の知れない感覚から全部キャンセルした経緯が
有ったのですが 今回、随分と気合をいれた反動なのか現地で携帯を
紛失するし訪問後には食事とは関係無い種類のどうしようもない
腹痛により宿では身動きできなかったりと散々なものでありました。

結果として旅の充足感は相当なモノで やはり訪問して良かったなと。
ただ、携帯の紛失が痛くて現地での撮影記録は一切ありませぬ。
これが実に惜しい。一言加えるなら東欧美人ってのは実在する!

文中の写真は持ち帰り品から全て引用したものであります。

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<2011.2.25-3.1>
毎度の前夜祭のつもりか多少の飲みすぎ。実際は多々。
それでも毎度の事ながらAM 04:00 SETの目覚ましに一発起床。
シャワーで身を清めて空港行き一番バスに。

最後部の席には5人の娘衆で賑やかに盛り上がっている。
耳に入る話から韓国行きらしい。旅の出始めはそれでイイのだな。
夜明け前の薄暗いバスの中で自分は独り、コンビニで買った
焼酎を舐めながら先の展開を想うのも旅だ。

久しぶりの単純往復ではなく外地で乗り継ぎの旅程を名古屋で
ヒースロー経由でワルシャワまでのを発券。
昔に出張した時にはフライトクーポンから一々、手続きを
していたのが隔世の感。当時は国際線の乗り方も良く分らず
何でも営業の先輩頼みだったのを思い出す。
しかも係りの人はさりげなくC-CLASSを用意させて頂きましたと。
今回は全くアテにしていなかったが昨年からの最新機種で
UPの恩恵は大きい。いつか体験したいと思っても自分の銭では
困難だっただけに幸先良い感じ。

名古屋-成田のNH338便はほぼ満席だった。見渡すと何となく
若い娘衆が多いような。そればかりに目が行くせいだろうか。
皆、何処へ行くのだろう。

NH201便成田11:35発-時刻は戻ってロンドンに15:15着、
NH6721便17:50発でワルシャワには21:25着。
B777-300ER新造機のC-CLASSは秀逸。隣席が全く気にならない。
(新婚旅行の人には寂しいかもしれない)
以前にNZ090便でオークランドへ行った時のビジネスプレミアも
良いなあと思ったがそれ以上だった。
酒も良い。大半はタダでも元々タダで座ってるようなものだから
日本酒、勝山の「献」は無料でも「暁」って方を有料で頼む。
一杯\1500なり。(F-CLASSではこれも無料らしい)
タップリ、ナミナミにグラスへ注いでくれる。
C.A.の人が言うには一度開けたら残りは全部捨てなくては
いけないそうな。もったいないなあ。ならば俺にくれ!だ。
でも考え方によっては良心的かもしれない。
到着の1時間前に酒類は〆。あとはコーヒーで。

ヒースローは何年か前に初めて訪問した時の印象は
やたらと歩くなあ、だったのが今回も。

乗継までの暇つぶして外に出ることを試みる。
入国審査の係官に滞在日数を質問される。入国カードには
乗り継ぎと記したので不審に思われたのだろうか。
少し時間が有るから本場のFISH & CHIPを喰いたくて、と
言えば笑ってくれる。しかし、ロンドンの首都空港は
歴史や伝統とは別のもののボロサを感じる。

フラフラ散歩して乗り継ぎの別ターミナルに移動する。
で、一応は旅先で現地の人に話し掛けるのを試みる自分。
空港の案内所の女性は滅茶苦茶に無愛想というか悪印象だった。
異国の旅人にそんな不機嫌な態度を見せなくても。。。。
なんか嫌な国だなあ、なんてね。
案内放送や周囲から耳に入る会話は当然、全部英語なんだよね。
でも案内所の印象からかどうも耳に馴染まない。
(本当は自分の語学力に問題があるのだろう)

LO280便(コードシェアでNH6721便)はギチギチの満席だった。
周囲の連中が皆、ソ連人に見える。あっと、今はロシアか。
大半はポーランド人だろうが体格いいなあ。
離陸時から頭はホワホワしている。それもそのはず。
日本なら深夜02:50だ。しばらくウトウトと。
機内食はサンドイッチとビール。一応、国際線だからタダ。

ワルシャワ空港に着いて日本円を両替する。初めての土地で
下調べもロクにしなかったし時刻からも仕方ないけど
恐ろしいくらいの極悪レートだった。当時の控えはどこかに
消えてしまったが計算間違えではないかと思ったくらい。
時差ぼけと疲労感とで何となく終わらせてしまったけれど
これについては後悔した。

空港からはTAXIで宿に。
長距離移動だからすぐに寝ればいいものを習性から
軽率にも何となく危険予知感覚は発動しなかったので
人気の無い宿周囲の道を少々歩く。周囲には雪が積もっている。
普段生活している地元の冬と全く違う寒さが痛い感じの夜の空気。
道端には怪しげなチラシの類が落ちていて物珍しさからポケットへ。
(コイツは所々で見かけたから宿近所に在るに違いないと好奇心)
少しばかり宿に併設のカジノを覗いて移動初日は無事に終了だよ。

明けての一日は市街見物のつもりだった。
徒歩でワルシャワ中央駅まで散歩してトラムの一日券を買い
北北東方面の川沿いエリアに。ガイドブックを持参したわけでもなく
宿にあった簡単な案内地図だけでも役に立った。
古びた建物と公園、それにいかにも東欧系らしき綺麗な娘さんたち。
昼飯時を少し過ぎて目に付いた店で予約は無いがOKかと聞けば
即座に断わられる。残念。

今回の旅程全般で写真を持ち帰れなかった事もあるが食事は
殆ど印象に残っていない。食事をした記憶とその内容大半を
喪失している、何を喰ったのだろうか?なぜだろう???

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夜はカジノ。名前はオリンピアと立派だが低い天井に薄暗い照明で
場末の賭場という感じ。華やかさが全く無い。
二泊連夜の収支は充分すぎた。
前夜に拾った怪しげな店のチラシに記された通りの名称らしきものと
宿の簡単な地図から適当に見当つけて見学してみるかと散歩する。
初訪問の地でもどういう才能だか難なくソレらしき店を発見。
チラシと同じ住所が壁に示されているだけで看板も無く鉄扉に
呼び鈴の相当に怪しい雰囲気。丁度、先客が出てきて中の様子を
チラリと拝見する。うーん、、、野次馬魂で呼び鈴押してみました。
中身は事実上、怪しげな秘密倶楽部のようなもので。
だからまあ、以降の話もここでは秘密にしときましょ。

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そしてワルシャワからクラクフへ移動。
CHECKOUT後に携帯を紛失した事に気がついた。
宿部屋か昨夜のの怪しげな店かカジノか路上か?
宿には帰国後、LOST&FOUNDに問い合わせたがダメだった。
それまでの写真が非常に惜しいのだけれど不思議な事に
この時は無くしたものは仕方ない、と妙にアッサリした気持ちに
なったのを覚えている。これも厄落としの類だろうか。

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ワルシャワ中央駅は地下構造みたいなもので厳冬期の寒さを
考えれば合理的だろう。何本か古ぼけた、それでも頑丈そうな
列車を見て異国の旅をしているのだなあ、の気分だ。

カジノの上がりを日本円に逆両替する。日本円はこれしかない、って。
昨日に自分が現地通貨を調達した時のものだった。
仕方ないから他にEURO1300チョイ。残ったズロチだかズオティだか
言うらしい現地通貨はPLN2100少し。元手を引いても¥20万位の
収益だから新しい携帯を買う費用もこれで良しとなった。

ワルシャワの印象は総じて悪くない。宿や通りがかり市民の
多くにも(想像力を駆使してくれたのか)英語が分ってもらえた。
ホームで鉄道の質問をした娘さんは丁寧に解説してくれたし
トラム乗り場の路線図見てたらMAY I HELP YOU? と声を
かけてきたオジサン。異国の旅人に親切だったよ。
自分の不完全な発音を補完するするのに喋りながら絵文字で
筆談したりとかね。これはこれで面白い。

日本でワルシャワからクラクフへの鉄道券は手配済みだった。
だけど現地の窓口で買った方が正解だったと思う。
現地語が分らなければ駅名だけ書いて窓口のオバサンに見せればOK。
中央駅というくせに窓口は少ないし「手動販売」で何人か並んでいると
時間が掛かるから出発までに余裕を見たほうが間違いないだろう。
あとはTV画面のような列車時刻情報で行き先、列車番号(事前に
確認したほうが吉)と出発番線に。
ここだけじゃなくクラクフ、オシフェンチムも切符は窓口販売で
担当は全部同じ体格のオバサンだった。不思議だ。

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側面に「1」と表示された車両に。4人一組の個室車両みたいな感じ。
でもコンパートメントに客は自分だけ。しばらくして検札の車掌さん。
少ない体験ながら欧州鉄道は改札は無いけど検札が徹底しているなあ。
椅子からずり落ちるような姿勢でしばらく寝てしまう。
そして食堂車に。「メニュー、いいねえ」と書いてあるが何が良くて
何を食ったかメモにも記憶にも無い。
で、ビールは無し。元々アルコール類は非搭載らしい。

車窓からのスピード感はなかなかのもの。
景色は随分と白樺並木というか立ち枯れた様な木々の中を進む。
時々に模型のような小振りの家を目にするが まるで自給自足の
世界のような気がする。 こんな場所、と言っては見知らぬ
住人に失礼だが何をやって生活しているのだろう?と思う。

3時間少々でクラクフに到着する。ここからまた乗り換えて
目的地の最寄り駅オシフェンチムまで。
訪問に際しては経路を調べてみたけど現在(2011.2末時点)では
ワルシャワ、クラクフからこれで行くのが一番確実だと思う。
しばらくの間ゆろゆろと走るローカル線で昼過ぎに到着する。
建物一つの田舎駅、といった感じ。ナゼか地元の遠江二俣駅を連想する。
TAXIで博物館となっている収容所へ。どうやら入場は無料。

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当時の絶滅収容所は建物毎にテーマを持った展示館と成っている。
目的の場所ではあったがここではとても書ききれない。
手帳にも「MURDERED in Auschwitz と示された人々の写真」 
としか記していない。

夕方が近くなった。寂しいというより重い。
最後に入った展示館にはカバン、義足、靴の山。
展示室には自分だけ。目の前のものから来る気配に
圧倒されるような感覚だった。
もう一度、解放後に所長だったルドルフ・ヘスが吊るされた
絞首台横のガスチェンバ跡に。

外に出る。
シャトルバスと表示されたバス停には丁度、停車していて
駅に送ってくれるんかいな?と何も考えず乗り込む。
これほどの意気込みで訪問したのにどういう精神状態だったのか
それ以上に不勉強と言うか。否、アウシュビッツについては
相当に予習したはずだったのにこの時の自分は何にしろ
「頭が変な状態」だったかもしれない。
オシフェンチム駅からのTAXIでは出発前に印刷したGOOGLE EARTHの
現地写真を見せて行き先を告げた。それにも写っている。
博物館としてのアウシュビッツとは別に数km離れて第二収容所が
あることを全く忘れていた。
実際、バスは駅へ向かう道と途中から離れ「あれれ、どこへ
連れて行かれるんだろう」と思って到着した風景を見て
「ああ、そうであった!」と初めて気がついたくらいで。

敷地に続く線路と死の門。
知らなければ農場小屋が並ぶ寂れた草っ原にしか見えない。
いずれにしても荒涼の文字しか浮かばない。

内側の線路転轍機を跨いで入口を見る。
足元は死んで逝くだけの命を運んだ終着の場所。

時間も過ぎた。そろそろ帰路の始まり。
線路の間、枕木の上を歩きつつ外へ。

この線路は来た道と交差したら唐突に林の中へ消えている。
帰宅後GOOGLE EARTHでよくよく見ればオシフェンチム駅に
つながっている様にも見えた。しかし永劫、列車は通るまい。

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クラクフへはオシフェンチムの窓口で切符購入する。
駅名と値段が分らなかったからPLN???と書いたメモ見せて
はうまっち ふぇあ とぅ クラクフ、なんて。
日本円で¥270くらいか。往路は出発前の旅行代理店で
EUR14だったから往路は高い買い物だった事になる。

何の予兆も無く突然に車中で胃の上部あたりが痛み出す。
しばらく前まで同じ様な場所に鈍痛があったけれど
いつの間にか治癒したようで忘れていた。
何かのストレスだろうか?
デイバッグを膝の上に抱えてしばらくウトウトとする。
気が付けばクラクフが近いのか車内は混んできて
車窓風景も夜になっている。
駅から1km程度をしばらく歩いて宿に到着。
宿部屋はウナギの寝床の様に細長くてベッドが枕合せの縦に
並んでいる変な形だったが朝食込みで価格的に上出来だった。
ANA HPから予約したWYSPIANSKIなるホテル。\6300/泊。
ワルシャワのヒルトンも二泊合計で\17828だったから
税、サービス料込みで宿事情は良い方だと思う。

とにかくこんな時は無理をせず飯も酒も無で19:30には寝る。
時折目が開いてTVをつければ悩ましい雰囲気のCMばかり
やってるchも。
異国の夜に体調崩しながら見入る自分に不思議感覚だ。
翌朝は06:30起床して窓を開ければ入ってくる空気が刺さる
くらいの感覚で寒い。が体調完全復活。気分ヨシ。
朝食も旨し。

008 

メモによると「クラクフの街、 感動的」とだけ書いてある。

朝の散歩で丘上の城から街を見る。何処の国でも近代都市では
目に出来ない風景だった。広場への途中に並ぶ店で地元の
ウヲッカと必要最低分を残してユーロに両替する。昨日分と
合わせてEUR1965なり。元手を引いた旅の収益だから文句なし。

映画場面みたいに片手腕組みをして電話するビジネスマン。
気難しそうで親切な老婆。ルノアールの絵画を観た気分になる娘。
迷彩服で軍人風の警備者。クラクフでは日本人らしき旅行者を
見かけなかった。そのせいか、物珍しいのか、皆が異国の放浪者に
笑顔の接し方をしてくれた。

バンコクも好きな街である。この草稿時点で大変な洪水被害に
見舞われているがTV報道でインラック首相は復旧すればまた
「微笑みの国」が戻ってくると言っていた。他国の寸評でなく
タイは自国民がそうであることを自覚している証左なのだな。
一世代前の自分が中学の頃、日本人は曖昧な微笑ばかりで
西洋人には真意が読めぬと批判的に評されたのを記憶している。
が、それで良かったのではないだろうかと今は思う。
油断していれば詐欺なり何かの犯罪被害を受けるかも知れぬ
世知辛い世になった。見知らぬ他人に微笑むことも随分と
少なくなった気がする。どうだろうか?

009

LH1623 クラクフ13:05発 ミュンヘン14:25着
NH0203 ミュンヘン19:55発 成田 翌15:40着
NH339 成田 18:15発 中部国際 19:25着

クラクフ中央駅から空港へ やはり筆談で乗車券を購入する。
車両は思いのほか近代的。だけど空港駅は非常に印象深い。
クラクフはポーランド第二の都市だと思ったが路面電車の
停車場よりも素朴で唐突に線路が途切れた駅舎も何も無い
看板一つの野原の中に降りる雰囲気だった。面白いなあ。

010

コードシェアではないけれどルフトハンザのカウンタで
名古屋までの発券手続きができた。あらためて便利な
世の中になったと思う。係員は何も言わなかったが
見ればANA便は又もC-CLASSにUPされている。
毎回最安値割引Y-CLASSしか使えぬ自分にこれは嬉しい。

ドイツ国籍便ミュンヘン行きだから やっぱり機内でビール。
隣席の皆さんはソフトドリンクばかりだったような。
少しばかり市街を見てみようというつもりで乗り継ぎに
時間を取った予定からミュンヘン到着後にドイツ国鉄に。
言語が全くわからねえ。大学時代は第二外語の選択した
のにあの授業は何だったのだろう???
切符の自販機もよく分からん。タッチパネルで駅名文字を
順番に選択する方式だった。とりあえず「M」から。
それでもどうにかなるものでS-1路線でミュンヘン到着。
駅の構造は複雑だった。近郊路線と長距離路線は別建屋。
到着は地上駅なのに空港へは地下駅。
でもまあ、私鉄、地下鉄、JRが入り乱れる新宿の方が
訪問者には面倒かもしれない。

ミュンヘンからの帰国便は新造機のB777-300ERに較べたら
随分と見劣りする感じ。何年か前、初めて欧州訪問の帰路に
フランクフルトから利用した時には随分と感心したのに。
隣席は自動車関係らしい仕事帰りらしき人だった。
時折の話をして**(会社名)の人ですかといわれる。
車載関係は自分のFIELDじゃないけど個人道楽のテキトー
気分と違って思考回路を切り替えた気持ちで仕事を
しなければならんのだな、と何となくあらためて思った。

過ぎてしまえば全ては過去の終わった事。
旅行作家やジャーナリストも大変な仕事だろうなあと思う。

ともかくこれでまた日常生活。
自分を待っているのは何だろう。

人は死んだらソレっきり。これからもそう思う。

あの旅の腹痛は何だったのか今でもよく分らない。
昔に生命を終えてこの世のものではなくなった
人々の「何か」が、遺した何かが現在を生きている誰かに
意識の中で呼応させる その何かは受ける人間が想う事で
存在を続けているのだろうと思う。

自分自身が書いているのに難しい話だ。

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コメント

MARIOさん、今晩は。

今週は数日留守にしていましたので遅くなりましたが 
あらためてコメントを拝見して自分の野次馬魂に火がついて
しまいました。

ここは自場所ですから好き勝手に書きますなら 大体、晩酌が
進んだ頃に「じゃあ、まあ、何か書いてみようかい」或いは
御声を寄せていただいた人にも失礼ながらそのような姿勢で
思うままに読後感想のような気分でKEY BOARDを打つわけです。
そんなわけで最初に自分が書いた文を読み返せば「てにをは」
が全くデタラメで。いやはや、御恥ずかしい。

これは失礼な表現になる事を承知で書きますなら旅話とは別に
人間観察や人物像を想像する事がまた自分の道楽ですので
お許し願いたいのですが。
「あの口コミ場所」での話を含め文章を拝読させて頂き
推理をすれば どうも極くあたりまえに会社務めをする
自分とは一種、また別の趣を感じてしまうのです。
つまり「職業的」には教育、法曹、経済関連で経験を重ねてきた
人なのかな?と。

そんな自分の興味本位の思いつきはともかく またこれからも
MARIOさんの旅話を参考にさせてもらえればありがたいです。

投稿: 庵主 | 2011年11月 6日 (日) 21時42分

こちらの雑駁なコメントに、早速のご返事、しかもまことに丁寧な中身があるもので、恐縮です。

ナチス占領下のユダヤ人を描いた映画をよく眼にし、ユダヤ人の著作を好んで読んでいるものです。ユーラシア旅行社だけがイスラエルツアーを催行していた時期に、テルアヴィブのホロコースト記念館には行ったことがあります。

ユダヤ人が住んでいない都市は文化が無く面白くないとまで思っており、ドイツ語が全く読めず、また、ローマ遺跡に立ち寄らないと旅の実感がわかないものですから、ライン川以東は訪問する順序が後回しとなっております。
 来年はベルリンからぺテルブルグ方面を狙っておりますので、クラクフにも立ち寄りたいと考えております。


ウイーンからミュンヘンまでのRJの先頭車の半分がプレミアム車両で、四人掛け、通路側扉無しで、座席の後ろ側にガラスの衝立があるといった構造で、いわゆるコンパートメントではありませんでした。
 寝台車両ではなく六人掛け、向かい合った座席を双方引き出すと平らになり、三人はゆったりと眠れ、葉巻の匂いがしみついた、木の扉のある本格的な木造コンパートメントは今どこで乗れるのでしょうね。ストックホルムからナルヴィク往復を今でも思い出します。


フランスとスペインの地中海側国境近辺(ポルト・ポウ駅?)で列車停止し、乗客全員がホームへ降り立ち、一列に並んで審査(入国?出国?)を受けた記憶があります。その間、軌道幅変換の操作をしていたかもしれません。フランコ総統時代で緊張していました。今思うと、映画の一シーンですね。マドリッドのレストラン・花の館の店主は1964年に軌道幅変換を経験していると話しておりました。


 訪問先では、数と挨拶は可能な限り現地語ですることとしております。今は便利なものがありますね。
 フランス語は、JTB発行のCD会話本(旅行中は使用しなくてもいつも本はバックに、CDはiPhonに入れております)があり、何度も同じシーン別に繰り返しているにすぎません。


投稿: MARIO | 2011年11月 2日 (水) 15時32分

ようこそ MARIO様。
そしてコメントまで頂戴しまして恐縮です。

以下、自分の記述は口語平叙文にもなりますが
御容赦ください。

さて アウシュビッツについては キッカケが何であれ
どこか気になるものがあれば是非とも訪問をお勧めします。
なんとなく、でも必ずや目にしていただきたいと。
いささか乱暴な言い方で申し訳ないのですが こうして
コメントまで記していただいたのですからMARIOさんも
行くべきでしょう、と。(無礼な表現ですけれどそちらの
口コミ記事を拝見して訪問するだけの旅資質を持っている
のだな、と思った次第です)

楽しみとなる観光見物でもなく風光明媚な景色でもなく。
が、自分自身としては強烈な経験をさせてもらいました。

自身の場合、会社のズル休みはギリギリ3日までが
限界かと思うのでどうしようもない旅程でした。
もしも日程的に余裕が有るならばクラクフに二泊して
中日に午前中から訪問するのが良いかと思います。

自分は読んでいただいたとおり昼過ぎからだったけれど
第二収容所は死の門から続く転轍機に立つのが一杯の
ところで時間的に全く不十分で。
GOOGLE EARTHで見るとほんの入口にしか行かなかった
ようです。

そして彼の地を訪問されるならば繰り返しになりますが
クラクフを是非、SETとする事をお勧めします。
場所が場所だっただけに(?)心洗われる気がしました。
それから記事にした岩塩鉱山ですが こちらも興味深い
ものでしたので宿題を課すようで申し訳ないですが
いずれの日にか立ち寄って報告をば願いしたいな、と。
(もしも拝見できたら あるいは自分も再訪するかも)

ワルシャワ-クラクフ間の列車については御察しの
とおり一等車両で通路とは扉で仕切られていましたが
狭軌か広軌かは定かでありません。
通路には窮屈感はありませんでした。
本文中で紹介しました山下裕氏の鉄道旅行記では
スペインに軌道幅変換する列車の記載がありましたが
ポーランドの路線はドイツ他、東、中央欧州の路線と
つながっている様子ですので大半の欧州鉄道と同じ
規格と思います。不確か感覚でスミマセン。
(山下氏の記述によればスペイン、ポルトガルは
1674mm、他の欧州諸国は1435mm狭軌だそうで
かつて、有事の際に仏国の列車が進入するのを
防ぐ為に行った策とのそうです)

ただ体験的感想としてワルシャワ-クラクフは無停車で
特急としての味は快適でしたが「1」の車両はあまり意味が
なかった気がします。土地の人と一緒に空間で気が向けば
食堂車で暇と食事を楽しむのも悪くなかったかな、と。

さてこの返礼コメントを書く前にMARIOさんの
場所を少々、拝見しました。仏語他、随分と語学に
堪能であるとの印象を受けまして。自分にはもはや
習得不可能ですがどのようにして身につけたのか
これもまた興味を覚えました、
そしてロカ岬の話と記事。
欧州最西端。大陸の終わりは海、というやつですね。
自分はもう欧州訪問機会は殆ど無いと思っています。
それでも行きたいと思う気持ちも。
(来年は勤続表彰休暇で記事にされたウィーンに立ち寄りますが)

いつかまた その時に助言をいただけましたならば
幸いです。宜しくお願いします。 ありがとう御座いました。

投稿: 庵主 | 2011年11月 1日 (火) 21時51分

ANSH さん こんにちは

興味深く読ませていただきました。

私も、いつかは行かなくっちゃと思いながら、ずいぶんとたってしまいました。

ライン川ドナウ川線以東は、なかなか踏み込めませんでした。

あなたの旅行記録を読み、来年、行かなくっちゃと思ったしだいです。

ところで四人乗りのコンパートメントというと、廊下は広いのでしょうか、それとも狭軌なのでしょうかね。

 

投稿: MARIO | 2011年10月31日 (月) 12時56分

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