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2012年2月12日 (日)

一区切りの福岡編と長崎

とりあえず区切りの福岡+長崎<2011.11.17-19>

福岡。言うまでも無く九州帝国の首都で通貨や大半の風俗習慣は
日本と同じだが言語や気質は独特のものがある。
小学校6年から高校卒業までの7年間は自分もこの土地に
留学していたから特別の思い入れがある。
末妹は幼稚園から一家が引揚げる高一まで暮らし、途中から
都立西に転校したものの余程に気に入ったらしく(福岡時代の
高校は自分の後輩になるが兄と違って勉強は出来た方なのだろう)
地元のQ大でその後も下宿生活をすることになる。

001

長崎もまた古来から異国との交流が盛んで両都市は
JR特急「白いカモメ」が二時間程度で結んでいる。
どうせ行くなら両方行くのが一度で二度御得と言うものだ。

特徴的には海産物に恵まれて魚介類はとにかく安くて旨い。
まだ未知の名店が多く存在しているに違いない。

002

自分の旅に酒はSETものでも飲酒運転は絶対しない。
だから車を使う事は稀有だが普通に旅を楽しむ人の場合、
九州ならレンタカーもまた便利な道具になる。
(但し夜間市街地は他の飲酒運転車両に注意が必要かもしれない)

003

どう思おうとも2007年の入院以来、半年毎に訪問するのが
定例行事となってしまった。
現在では目的のソレよりも何処でどうやって何をしてやろうか
というのばかりが思い浮かぶ。

出発前には色々と行動については考えていたのに
祖父の法要日程が変更になって同じ週末になってしまい
予約の変更をする事になる。それでも九州、だ。

004

福岡空港から二駅、博多で下車してこの数年に毎回訪問する
駅前の店に。前回は改装休業中でダメだったが小奇麗になって
庶民的な雰囲気が失われたのが逆に惜しい。店員さんは目に
嬉しい若い娘だったけど古参の豪快なオバサンは居なかった。
聞いたところ膝を悪くして退職したとか。これも惜しい。
馬刺しを頼もうかとしたら時勢の事情(全く熊本の馬刺しとは
無関係な食肉の事件が多発して)旨い材料を入荷できなくなった
とか。これも惜しい。

005

何か物足りず本店の寿司屋の方へハシゴ食い。
前回と同じく納得と満足の内容だった。これじゃとても
普段の生活で寿司屋に行こうなんて思わないわけだ。
オモテから店内の様子が分らない寿司屋だと相当に値が張る
ものかと思うものだが店構えと駅前という場所に反して
次回もまた、と思ってしまう。(その次回は未定になるのだが)
あるいは場所柄か。つまりは福岡地区中心の天神とある意味で
有名な中洲。それに博多中心部は一直線で徒歩圏内に並んでいる。
(厳密に区別すれば福岡と博多は別モノ)
例えば外から店内が見える店のカウンタに旦那が居たとする。
偶然、通りかかった奥方が発見して入ってみたその時に、、、
「あら、アナタ。今晩は宿泊出張と言っていたのに隣の女性は
誰ざァますの?」なんて事になったら旦那にとっては最後の
晩餐にもなりかねない。そんな「アクシデント」への配慮でも
無いだろうがとにかく良い店だった。

006

目的地への前泊宿はこれも毎度の「パーソナルホテルおおみや」
で乗り換えの天神で先輩の店に立ち寄る。
入口前で「また今度も無事に来られたわい」と写そうとしたら
不審人物に気が付いたのか店主が出てくる。丁度、日本シリーズの
中継をしていてまた一杯とホークスが勝つ所まで。

007

宿に入ってマッサージを頼めば施術師のオバサン、ホークス万歳と
言いながら入って来る。コレで3勝2敗だけど名古屋の客だったら
気まずい雰囲気になるのだろうなあ。(対戦相手は中日ドラゴンズ)

008

翌朝は本題の九州がんセンター。
主治医の先生からコメントを貰う。
「一つの考えとして、、、これでもうココに来んでも
 数年毎に地元でPET検診をすればイイっちゃないと?」
と言う事で次回予約は無し。というか定期検診自体が終わって
しまった。同時にズル休みの口実と次回の訪問予定も消えた。

009

本当は喜ばなければいけない場面である。日常に退屈していても
あの手術直後から翌日の入院生活までは本当に苦痛だった。
もう一度、とは思わない。それだって術後に「これからの見込み」
があるのならまだ救いがある。
インフルエンザでもそれで死なない限り自然治癒が期待できる。
しかし自覚症状と診断が出た時点でこの種の病は全ての生活が
違う方向に転換する。
正直な所、予防は不可能だと思う。喫煙習慣が無くても肺がん
患者は増加傾向にある。消化器系もまた然り。
古代から人間が持ってきた遺伝子は現代の急激な環境変化に
適応できないのかも知れない。前々世代よりも昔までは地平線が
茶色い空もジャンクフードも化学合成食品添加物も無かった。
人それぞれに自身の身体でも何の変化が生じるのか、正常に
衰えるのか、変異として致命的な展開があるのか?
そんな事は予測できない。だからこそ「健常時と思っている時
の診断」が必要なのであると思う。

010

富貴栄華を存分に楽しむ権力者がスポンサーになって古来から
不老不死の研究が存在した。しかし人間だけじゃなく生物は
全て時が来れば活動停止=死ぬのが当たり前。
親の葬式を出した後に自身も「まあ、これで俺にしてみりゃ
上出来過ぎただろう」と思える時になったらソレでよい。
現在闘病している患者には酷い表現でも末期の苦痛とモルヒネに
頼る最期は嫌だね。だから早期の発見が重要なのだし自分だって
まだ完全に枯れたわけじゃないから色んな道楽欲が残っている。

011

とにかくこれで訪問は一応のオシマイ。
再訪するにしても当分先にしていただきたいもんだ。
集大成(?)でデータを貰う。本題より血糖値、γ-GPT、
コレステロールの数値の方が問題だった。

ついでに耳鼻科の友人に彼の職場で会う。
以前に指摘されてから右耳の難聴が進んだ感じがする。
左側はスッキリした感じなのに右は耳穴周囲の頭骸骨に
何かが張り付いているような感覚がいつもある。

012

夕刻に長崎へ。
グラバー園近くの宿に入って晩飯は道路向かいの「四海楼」にて。
ちゃんぽん発祥の地だけれど皿ウドンも良い。それと餃子。
フカヒレスープはマカオのより良かった感じ。
何をするでもなく夜更けの1時過ぎまで。
旅の宿の場合、何が良いってとりあえずは何処に行っても自分の
部屋より片付いて清潔だし空調には不自由しないと言う事だ。
翌朝は宿の朝食で和物系。注文付けるならアジの干物が欲しかった。

013

さてと長崎散歩。
今回は色々と訪問したい場所を自分には珍しく下調べしたのに
普段はやらないそんなことをしたせいか、直前に祖父の法要日程が
変更になり自分の予定もやり直しだった。
何であれ変わらないのが上野村仲間で。最古参村民(?)りあさんと
待ち合わせ合流で案内をしてもらう。
じゃあどうするかで訪問第一候補はシーボルト邸に。
その後に帰宅して上野村仲間だった広島のヨシキーさんから
何年ぶりかに便りが来て「誘ってくれたら良かったのに」と。
普段の日常とは全く関わらない距離がありながら歯車が合えば
また会える人たちが居るのは面白いものだ。

014

シーボルトが来たのは江戸時代の話。
そして浅学な自分は彼をオランダ人だとばかり思っていたが
ドイツ人だと訪問後に初めて知った。時代考証は全くデタラメで
単に空想ながら大航海時代の欧州は新天地で植民地となる他国の
調査をしている内に日本へ目をつけたのではないだろうか?と。
そうでなければ地球の反対側に滞在する目的も意味も無いと
思うのだが。早い話が一種の情報工作員であったのか。

015

シーボルト邸は中心部から少々離れて現在の市内住宅地に。
路面電車を使えば訪問には便利な位置でもある。
しかし江戸地代の長崎からすれば隔離政策のようなものが
有ったかも知れない。
滞在中に記憶が正しければ丸山遊女と結婚の後、(もしかして
自分が「からくりサーカス」と話を混同しているかも)一時の
帰国後に日本へ再訪している。元祖国際結婚みたいなものだろうか。
でもなあ、分るねその気持ち。当時としては最果ての異国で
単身生活する孤独加減っての。自然の成り行きだったろうが
それなら何故、彼は日本に来たのだろう???
本当の真実は歴史の謎だ。

016

東京に戻る時刻も近くなる。諏訪神社の前でウロウロしてたら
地元の御年配の婦人が土地事情を知らぬ観光客と思ったのか
丁寧にも諏訪神社の場所を説明してくれる。
歩いて巡る長崎をテーマに「さるく博」の時期でもあった。
これは以前のネタにしたとおり地元の人が長崎を歩き回る
観光のガイドとして説明やもてなしをしてくれるもの。
人情厚いのが九州帝国の国民性ってなもんよ。

017

バスターミナルで案内をしていただいたりあさんともサヨナラ。
ありがてえもんだなあ、と思いつつ空港へ。
土産物はやっぱり「海のもの」になる。
ただ、衝動買いで一階の店で買ったのは失敗だった気がする。
品揃えからすれば二階の店の方が良かったかも。

018

ANA666便14:05発にて少々早めに羽田へ。
機内にて毎度借りるのは毛布でシートベルトと一緒に
掛けておけば万が一にも一杯やりながら粗相をしても
防護壁になってズボンを汚す事が無いし。
通路を挟んだ横のオッサン、何を勘違いしたかこの毛布を
床に置き捨てて足マットにしている。
そりゃ膝掛けでアンタの臭い足を乗せるもんじゃないだろう、と
目にするだけでも見苦しい。C.A.の人も見かねたのか
座席前シートポケットに備え付けのスリッパを出して
「世話」をしてやっていた。余程のカッペか航空機に初めて
乗るのか知らないが振舞い一つにも「里が知れる」というのが
あると思う。

019

「今時の若い者は、、、」なる言葉が随分昔の流行語にあった。
自分もそんなのを口に出す世代のはず。
しかし現代の若者は自分の時代と脳細胞が全く違う構造に
なっていると察するから時に度し難い行動を目撃しても
異次元世界の生物が地球上に同居しているようなものだと
思えば特にどうと言う事は無い。
ただ自分と近傍世代(40~50代)の連中はスマートさに
「んむぅ、なるほど」と言う人もいれば中島みゆきの歌に
ある「隣の席のオヤジ、見苦しいネ」の様なのと極端に
分かれている気もする。新幹線で座席向きを反転させて
他人が座るべき場所の上に清潔とは思えない靴下と足を
投げ出しているのは大半がこの世代だし。

020

度々に書く自分にとって鉄道旅記録の聖書にしている山下裕氏の
世界鉄道珍道中で氏はブローニュからベニスまでオリエント急行に
乗車した食堂車の風景を次のように記述されている。
(1987年のことで現在では運行されていない。惜しい)
「見渡すと、淑女はアクセサリーを散りばめたイブニングドレス、
紳士は全員黒のタキシード姿。それが車内の調度品や照明と
マッチして、実に絢爛豪華な雰囲気を醸し出している。
まるで中世の王侯貴族になったような気分だ。
私はイスタンブールからはひとり旅になるので、荷物になるから
普通の背広にしようかと迷ったが、一生に一度のオリエント急行に
乗ることを思い、タキシードを持参して本当によかったと痛感する。
もし私が背広姿だったら当の私も惨めだったが、それ以上にこの
素晴らしい雰囲気をメチャクチャにしてしまい、紳士淑女全員に
ご迷惑をかけてしまっただろう。」
自分が旅する場合はネクタイ一本だって持っていかないのが
普通でも山下氏が言わんとすることは理解できる。
(そう思わない人はそれでまたイイと思う)

021 

実家に戻り晩飯は先着していた妹らと。
普段は観ないTVで妹が「コレ、面白いよ」というから
妖怪人間ベムなんてのをね。フムフム、昔のオリジナルアニメ
より面白かった。特にべラ役の杏さんがピッタリのイメージで
好きになってしまった。

翌日に祖父の法要も終えて爺さんほど長生きできなくても
俺ャあソレまで好きなように自分の見聞きをさせてもらおうかい。
そんな気分にもなる。

一応は福岡定期訪問の理由はこれで無くなったが
いずれまたそのうちにPET検診は受けようと思っている。

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