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2014年8月14日 (木)

台湾 台北 初訪問の下見旅 2014.5.15-18

古い友への遠い便り。

001

どうも御無沙汰。
先日は突然の訪問で申し訳なかったなあ。
隣の床屋は季節になれば年に何回か行くのが
そっちの前は毎回素通りばかりでね。
頭をやってもらいながら噂は色々と耳にしていたけどさ。
近所でも評判の良い奥さんだって話だと。
俺も昔、そっちへお邪魔した時に一度だけお目にかかった
記憶がある。あれは何年前だったっけかねえ。

中国と台湾。両国間に色々と面倒な話がチラホラ
あるのは世に周知の事実だと思うのよ。

002

勤め先でも知る限りカミサンは中国ってのが二人いるけど
台湾ってのはいないな。
君の奥方様の国でもあるし俗に親日の国とも
言われているらしいしで。それに若い頃は地元の
日華親善協会みたいなものに関わって色々と向こうの国は
個人的にも何かと興味は持っていたわけ。
いざ行こうとすればこれがナカナカ難しくて。
機が熟したのか思い切って(?)行ってみたよ。

殆ど下調べ無し。目的も無し。観光の類より
先ずは行ってみて現地の風景を目にするってもんかな。

003

それでさ、前日の仕事は夕方でソソクサと切り上げ
恒例のシャワー後に新幹線でね。
車窓から見上げると満月なんだよなあ。
月の見え方ってのは国によって違うらしいが
眺めているとホントにウサギが餅つきしているように
見えてくるから不思議なもんだ。
「幼い頃からの刷り込み」ってのは大したもんで
そうなると幼児からの躾や教育ってのも軽くは
ないかもしれんね。

004

家で親と雑談のうちに戦争の話になってさ。
空襲で明治座の中に逃げた近所の人たちが蒸し焼きに
なったとか終戦直後の冬に実家のバラックで寒くて
夜に目がさめたら枕元に雪が積もっていたとか。
俺たちが悪童の悪戯を散々にやってた頃にはもう終戦の
臭いってのは無かったように思うんだけどね。

それでさ、確かに巷で台湾は親日国ってイメージだよな。
でもね、何処の国だって必ず光と陰もまたあると思うんだなあ。
自分は文庫本持参で旅の宿にて一杯やりながら、が常に
なってるんだ。この時は横溝正史の「白と黒」だったの。
筋書きはともかく、登場人物の女性は終戦直後に台湾人の
裏社会黒幕みたいな人物に売られて、という記述があった。

韓国あたりで騒いでいる話題も世にはある。
それとは別に敗戦日本の時代では女性の中に今の僕らが
想像すら出来ない暮らしをしていた人も随分といたと思う。
戦争とは無関係に昔の日本だって女衒商売ってのは
存在していたのだから難しい話だ。

005

昔に那須の方へ伯母が招待してくれたのを覚えているかい?
あの頃は一族の中でも頭の権勢だったから誰も何も
言えなくてね。学生だった自分もまたそうだったけど。
何であんな成り行きになったのか、その辺が全く思い出せないが
ツマラヌ所に付き合わせて悪かったよ。
あれさ、亡祖母がとにかく君の大ファンで。
しょっちゅうに「あの子はたいしたものだ」とか「立派だねえ」
なんて。憎まれ口なら幾らでも出てくる祖母がどうして
そこまで惚れ込んだのか。でもな、そういう話を聞くたびに
俺は少しばかり誇らしい気持ちにもなったものだったよ。
察するに祖母は君の事を伯母にまで相当吹聴していたのだろうな。
なにしろその娘、従姉までが君の名を知ってたし。

006

なんでまたこんな話をするのか、なんだけど。
現代なら欲望と知恵とチャンスがあればマネーゲームの類で
結果的に勝てば成金長者になれる可能性がある。
そういう時代以前に伯母の富貴栄華は相当なものだった。
でもね、当人でさえ終戦時には台湾人へ身を任せた時期が
あったそうな。そして従姉は台湾と日本が半々なんだと。
(一族中ではタブーになっている身内の歴史証言みたいなもので)
従姉は自分より一回り年上だから終戦から二、三年あたりだろうか。
そういう関係が解消してからだろうが後に財を作る礎になった
家の養女になったらしいんだけどね。
昔に君の親父さんが白鷺城みたいな、と言ってくれた別家に
伯母と従姉は住んで母屋の方には自分の家族と伯母の養父が
亡くなるまで同居していた。そいつは君と出会う以前の話。
ただ一度だけ自分は伯母が「私は○○に売られたんだからね」
と口走ったのを耳にしている。○○とは僕の姓。だけど
この場合は長男だった伯父を指している。亡祖母は晩年まで
実家の玄関から伯父が中に入ることを許さなかった。

こういう話は英米語で戸棚の中の骸骨というらしい。
旅の事に戻そう。

007

でももう一つ。婆さんの葬式に受付をやってくれただろ。
あれね、親父もホントに感謝していたよ。普通は喪主の
知り合いがやるんだろうけど。そいつが孫の友人でさ。
親父もね「あんだけ気に入っていた○君が受付まで
やってくれたんだから婆さんも気持ちよく向こうに
逝けるだろうって」こいつはホントの話よ。

NH1185羽田1005発で台北・松山は1230着。
待合室でグラスを持ちながら喫煙室で一服してたらね、
自分と同じ様な膝あたりのズボンでリラックス気分の
オッサンが入ってきたのよ。これが入社以来の麻雀仲間先輩で。
今では営業部署の元締めだから時折には色々と出かけるらしいが
まさかこういう場所で会うとは思わなかったのね。
それでさ、待合室の方に行ったら営業部署の見覚えある
女性も一緒で。アシスタントみたいなものか。
鈍い自分もこれ以上は「まあ、問うまい」だったな。

008

昔に君が在米生活から帰ってきた後だっただろうか。
何処かに秘書と出張して飲んだくれてそのままに寝たら
翌朝にはYシャツと身の回りのものがキチンと畳まれて
いたって。そういう話を聞いて「その時の作業状況」を
想像しながら一緒に大笑いしたのを覚えている。

さてね、松山空港。驚いたなあ。
こいつは福岡空港に近いくらいに移動の利便性が良い。
適当な所で降りて宿まで散歩するか、だったよ。
一部が地上に出る電車からの風景はバンコクかシンガポール
に来たような気がした。

009

宿はタンゴLINSENって所に。これは交通至便で良かった。
価格は手頃。スタッフの対応も気持ちの良いもので。
それから近所で足マッサージ。アジア地区でこれは
外せないテーマだから。実際のところは知らないが
台北だとこういうのは男性が受け持つらしい。
でもね、自分が気まぐれ気分で選んだのは中年女性が
個人経営しているような店だった。

どうやら台北では日本語が通じる場合も有るし
そうでもない事もあるし、で。
ただこの店の他、各所で意思疎通は不自由しなかったよ。
それでさ、女主人が言うには店が終わる頃にもう一回
来なさいよ、ってね。話に乗ればどういう展開かは
分からないけど「台湾の23時は日本の0時。もしかして
寝ているかもね」で その辺はやんわりと。
俺も欲が無くなったかなあ、ってね。ウソかもしれない。
その気持はともかく現実には宿で書を手にしながら寝てしまう。

010

まあ、そのあたりについて他には色々有ろうと
ココでは書く事じゃないし。また一杯やりながら
話をしたいと思う。

それでね、この頃の旅で楽しみとするなら一つには
食う事なんだけど、これは「たまには」の場面で
楽しむなら何だって悪くない。でもなあ、結局の話は
自分は日本人で良かったと思う。
ただ例外的というか、、、理由不明ながら焼鴨は好きなんだよ。
こればかりはアジア圏の異国で楽しめ、ってなるような
気がするんだな。勿論、国内だって良い店はあるけど。

011

それで、戻る時に松山じゃなくて空港は桃園だったから
現地鉄道で移動したんだけど。イメージとして
思い浮かべたのは常磐線。そんな感じだった。

松山と桃園は日本で言う羽田と成田みたいなものかね。
いずれも後者は都会と違う寂れた雰囲気という気がして。
でもそれは観光名所を巡礼する旅行者とは違うテーマで
訪問する自分には目にするもの色々が面白かった。

012

桃園の宿も良かったよ。空港まで宿のスタッフが
送ってくれて。近所の足マッサージも。

だからなあ、、、場所や状況がどうであれ この先
どれほどの持ち時間があるのか自分にも分からんが
そっちの奥方様の里で一緒に笑う場所があったら
俺ャあ もうそれで全部満足してしまうかも知れない。
ホントに後の道楽はオマケのようなものになるだろうか。
日々の生活でさえ余生の暇つぶしみたいな色合いが
濃くなってきているのだし。

014

来月には俺の姪、長妹の娘が上京して家のほうに
泊まるらしい。そのあたりには自分も行ってみようか
と思ってるし出来ればそっちを訪ねたいと思う。
この頃は何処に行くにも何の覚悟も無く散歩気分で
出歩くのに、家から三分ばかりが本当に遠くてつらい。

前にそっちの家にお邪魔して酔い任せに言ったのは
「俺はオマエで オマエは俺さ」とね。
どういうことだか。そいつの意味は自分だってわからない。

015_2

そういう話よ。

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