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2014年9月25日 (木)

丸ごとベルリンの一日で世界を思う<2014.7.28>

001

どうもこの頃(2014年)はね世の中の揉め事の類が多い気がするのよ。
近場では中国の南沙諸島や尖閣での事。ロシアとウクライナ。
シリアの内戦、イスラム国の話等々。
大仕掛けの戦だけでなく人が人にやる振る舞いの基になっているもの
=心の造作というか。

002

哲学者、思想家でなくても自分は漫然と「そういうもの」に気持ちが
向く時があるし物思いの機会はどこか旅と結びついていることが多い気がする。
そこは単なる凡人旅行者の自分。悟りに目覚めるわけもないが
世に知って気になる場所は多い。

004
今旅後半主題のシュタージ(現代では一種の歴史博物館)もその路線。
昔に東西冷戦というのが有ったらしい。 これは結局、形態を変えて
今も続いているし未来に終息することも無いと思う。
子供の頃に東西陣営なる言葉の中身と地図を見れば米国が東、ソ連が西。
位置関係が逆である理由を知るには暫くの時間が必要だった。
日本という島国ならではか自分が生まれてからこっち、他国の干渉やら
民主化騒動というのは無かったと思う。(あの学生運動ってのは報道の類で
目にしていながら未だにどうにも正体が分からぬし)
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20世紀少年の時代は既にオリンピックや万博の様に平和ムードの成長景気だった。
だがその時代でも多くの国境が入り組んだ欧州では監視社会といざこざが続く。
そして思うに話の裏にソ連の姿が必ず見え隠れする。日本の敗戦時に
北方領土横取りだけじゃない。
チェコへの侵攻。ベルリンの壁。映画Le Concertでレアと夫はラジオインタビューの
ブレジネフ批判でKGBに逮捕され1981年にシベリア強制収容所で飢え
と寒さにより死んだ設定だがそれもなるほどと思わせてしまう雰囲気を
ソ連は持っていた。
現実には日本でさえ一種の国民監視体制は存在しているだろうが国として
ソ連はどうにも好きになれない。今旅後半主題のシュタージもその路線。

元々、シュタージとは旧東ドイツの秘密警察・諜報機関として機能した
国家保安省を指すらしい。

本日最初は当時の庁舎を使った一種の歴史博物館に行く。
宿の案内机でどのあたりかを質問して下車するU-5線のMagalenenstr駅の
位置関係を教えてもらう。地下鉄駅から地上に出れば目の前の様なもの。
いかにも何かの役所風な建物という印象を受ける。
昔の旅行と違って何がホントに便利かというと情報取得の自在性だろう。
前世紀の旅行なら手配は業者に申し込むのが普通だったはず。
目的地だって旅程表の知らない場所なら知るわけもない。経験者から話を聞くか
モノの本を探すしかなかっただろう。
そして現地では観光ガイドから「右に見えますのは、、、」などとその場限りで
記憶や理解が及ぶかも怪しい解説に耳を傾ける。

WEBの発達で大半の旅程なら交通手段や宿の手配が個人の思うままに
可能なのだし各種の訪問する場所の事前情報もまた入手できる。
シュタージ博物館については出発前に随分と調べた。
だからまあ、興味ある人は各自で調べて貰えれば良いだろう。
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中学の頃、ラジオでSONYのスカイセンサーが欲しかった。(実際に
持っていたのはNATIONALのWORLD BOY)その後もラジカセを随分と
買ったが全て最後は中身を見たくなって分解してお払い箱。
この時の野次馬心が職業上の好奇心に何か作用していると思う。
当時の民生用回路基板は100%と言って良いほどにベイク(材質名)製。
シュタージでの機器はガラスエポキシのFR-4(材質の規格名)の
回路基板材と判じた。コストから見ればこの組織について破格の
扱いだったのかもしれない。
話を見学に戻す。別料金を払えば撮影も可能だった。

手帳にはERICH MIELKE の名前。  つまり「憎まれっ子、世に憚る」の
現物見本みたいなものだろうか。と記してある。
展示物、当時の庁舎室内も興味深い。


アメリカでは軍事、宇宙用の技術が民生分野へ転換される例が多い。
ドイツでは何だろうかと考えればカメラだろうか。大戦終了後も秘密警察の類が
市民監視や欧州各国に対する情報収集目的で技術が発展したのかもなどと
馬鹿げた迷想すら出てくる。
実際、隠しカメラの展示品を見ていると元祖盗撮大国ってな気がしないでもない。

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展示資料から読み取ったシュタージ終焉は1990.1.15らしい。
人権活動家らがシュタージを占拠した時の壁描きにはEnough SPYING get out now. 
何とも言えぬ気分だがこういう活動の背景には英米あたりの支援があったとしても
不思議じゃないだろうな。
そうなると東西を分けたもの。それこそ象徴的な壁を見なけりゃ、と東駅に。

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当時のものに落書きアートが並ぶ。
当たり前だが壁の両側で往来は自由。他の観光客と共に撮影する。

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のどかな風景だが実際にこれを越え様として撃ち殺された人間もいたわけだし。
何とも言えん感じ。

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次は刑務所の方だ。

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アレクサンダプラッツとでも読むのか地下鉄から外に出てM6系統トラムに乗車する。
街並みを車窓見物しながらGENSLER Str下車。

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停車場横の買い物センタに入ってみれば実に魅惑的な弁当、惣菜屋が多い。
「下手に気取った店で食うよりコッチの方が良さそうだなあ」と思えるくらい。
日本だってデパート地下の弁当売店はあれでナカナカ面白いものを売っているのだし。
レバーソーセージに興味が行くがここは我慢。

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さて木立が並ぶ住宅街をしばらく歩けば「いかにも」という風情の壁に出くわす。
入場料はEUR5. 00なり。

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ここで常設展示室のみなら個人で好きに、だが実際の内部見学は独、英いずれかの
ガイドツアーに参加しなくては不可。英語ツアーは14:30~のみ。
独語は無理だから英語の方に仲間入り。
しっかしまあ、今回は昨年のスイス編と比べて幾分かはマシになったつもりの語学力が
テンで駄目という事実を思い知らされる。とにかく耳と頭が追従しない。

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本題の見学。常設展示には受刑者(?)の収監時写真と共にプロファイルが並ぶ。
一年以上の生存は少数派の様子。
なんでそうかなあ、と不思議だったが現場を見て納得。
身体への負荷も滅茶苦茶だったろうが地下の暗闇牢では第一に「精神」が
持たないだろう。以前訪問のアウシュビッツで生存可能だったのは生への希望と
未来の夢を捨てなかった人が比率としてかなりのものだったらしい事を思い出した。

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ところがこの刑務所は先ず人の心を壊すところを重点としたような気がする。
アウシュビッツから陰負の技を受け継いで来たのだろうかとさえ思ってしまう。

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1980年代と言えば自分も随分と若く浮かれた暮らしをしていたがその時も
この施設は稼働していたわけだ。
人の心が思い浮かべた物事は壁を作るも壊すも万事、その人間がやる話よ。
前半スイスの様な風光明媚で観光三昧という爽快感は無い。
だが物思う所は色々で満足成就だ。

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再びトラムでアレクサンダプラッツ駅へ戻る。
デパートの様な買い物ビル前広場では何かのイベントか恒例なのか屋台が
並んで大盛況だった。平和だよなあ。
それでも地下鉄横にはホームレス風のオッサンが何の当てもないような表情で
座り込んでいる。

018

博物館島の方まで緩々と散歩でもしようかの気分だったが中にまで入って
堪能する時間は無い。少々悩んだが宿に戻ってシャワーとラウンジで
HAPPY HOURのワインを少々。と腹も空いてきて晩飯と見物でポツダム広場へ
行ってみようか。

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ベルリンの壁がここにも街の観光風景と歴史記録を兼ねて何枚か遺されている。

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19:30過ぎても日没前。ソニーセンターでビールと土地の名物らしき「アイスバイン」 
これは西洋豚足みたいな料理だが正直、案内本で知るまで自分は語感から
「貴腐ワインの類」だろうかと思っていた。

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付け合せにはザワークラウト。う“~、こんな味だったか???で少しの期待が
大きく外れた。

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随分昔にアートコーヒー(今で言うドトールみたいなもの)が新宿西口地下広場から
丸ノ内線に降りる左側に有った。そこではザワークラウト入りのホットドッグを
売っていて何とも口に合う買い食いスポットになっていた。

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今宵に食ったベルリンの奴は本場モノには間違いないだろうが
思い出の味とは程遠い。あるいは他の食材と同様に他国のオリジナルに
手を加えてもう一つ独特の味に仕上げるというのが日本の技なのだろうか。

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そんな昔を思い出すにもその当時、ドイツ国民に対してシュタージは存分に
機能していたのだなと改めて思う。

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さあて宿に戻るかね。折角来たのだからブランデンブルク門でも見物しながら
ユルユル徒歩徒歩と。これで明日には帰国の途だからなあ。

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仕上げは昨夜と同じく宿前のテント屋根カフェでまたバーボン。
大聖堂の横で罰当たりかも知れんが気分良し。

028

 

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コメント

あれ?あれれれ??

いえね、もしかしてfさんというのは自分が記憶する
fさんかなあ、なんて思いつつ。

そいつがどうだろうとココは自分の場所なんで訪問してくれた
皆さんには返信を読んでもらう風景として。。。

庵主が居間でゴロリとしながら「おうおう、よくまあ
来てくださった。ほら、好きなトコへ適当に座って
くつろいで頂戴よ」という雰囲気を想像してやって下さい。

それにしてもなあ、今回の出歩き。
最初から自発的に何かを検討してというもんじゃなくて
誰かからの情報INPUTが全ての引き金だったんだよねえ。

世の中には情報弱者って言葉があるらしいの。
自分なんか最たるものだね。

それなら「強者」の方はどれだけ知り得たものを糧と
しているのか、そりゃ分からんです。

正直な所、自分にとって無駄な情報を目にするために
自分の時間を捨てるというのが「無駄」と思ってしまう
ケチな性分なんだけどさ。

でね、今回のスイス(コレは既述のとおりNEWSとして
ギーガーの訃報を目にしたから自然の成り行き)
師匠と敬うe&rさんのインスブルック、そして それまで
見知らぬ人が書いたシュタージの話にくすぐられた野次馬心。
HIT連発で結果的にピンポイントの儲け物。

今まで自分が知らなかった場所でホントに惹かれる
話を語る人ってのは世の中にあるもんだよなあ。
そう感じたよ。同時に反面教師ってのもあるけどね。

旅に関しては急がずユルユルの暇つぶし感覚で
是非ともまた野次馬ネタを提供していただければ。

P.S. ドイツの食事。あれはホントに知りませんでした。
それもまたお気楽庵主ならではで展開に満足してます。
何しろ今年に少しばかり流行した病も話題となった今夏まで
てっきり「天狗熱」って名称だと思い込んでた位で。あはは!

投稿: 庵主 | 2014年9月26日 (金) 19時42分

庵主さん、こんばんは。
fさんです。
ベルリン編、とても面白かったです。
ツブヤキが効いていますね。
深刻な場所なのに、ほっと和ませてくれます。
アイスバインとアイスヴァイン、笑ってしまいました。
では、また。

投稿: fさんです | 2014年9月25日 (木) 20時30分

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